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2018-06-10(Sun)

障害と関連がある映画!?15選

※気分転換に書いた趣味に関連した記事です。



小さな頃から、両親が映画好きで、レンタルビデオ屋さんからビデオを借りてきて、映画をよくみていました。

障害や病気は、いざ自分が当事者となってみないと何も分からない世界だと思いますが、映画は人生について教えてくれた私の友人かもしれず、勇気をもらえたな、と思うこともたくさんありました。


全体的にうろ覚え&デリカシーなく好き勝手に趣味を語った記事ですが、独断と偏見で選んだ”障害と関連のある映画を15本”を並べてみたいと思います。






1:「ガタカ」…遺伝子操作で“子供”が選べる未来…


ガタカ0609


近未来を描いたSF映画で高い評価を得ている作品。


“遺伝子操作された優秀な子供”をオーダーして出産できる時代になった未来…。人々は自然妊娠で生まれた子供たち(普通人類)と選ばれた子供たち(優生人類)に分けられています。


でも主人公のヴィンセント(イーサン・ホーク)は、優生人類しかなることの許されない宇宙飛行士への夢をあきらめきれていません。

そんな中、“優生人類”でありながら事故で半身不随となった元水泳選手・ユージーン(ジュード・ロウ)の協力を極秘裏に受けることに。生体認証に必要なモノを彼から調達しながら、決死の努力で夢に挑みます。


ドキドキのサスペンスもあり、恋愛要素もあり…ですが、なんといっても本作の魅力はヴィンセントとユージーンの友情にあり、優秀でありながらも障害を負ったユージーンの孤独に胸を打たれます。


当時のジュード・ロウが超美形で個人的にはそれだけでも必見…!


全然幸福そうにみえない未来。だけど夢を掴もうとするヴィンセントが1人きりでなかったことにどこか救われる作品です。







2:「レインマン」…“自閉症に抱いていたイメージ”と“兄弟”のこと…


レインマン0609


中古車ディーラーを営んでいるチャーリーのもとに、ある日長年ソリの合わなかった父親が亡くなったという知らせが入ります。

自分に遺産が一銭も入らないことに憤ったチャーリーですが、なんと障害者施設に自分の兄なる者が存在していることを初めて知ります。

思わぬ兄弟の再会。なんとかして遺産を兄のレイモンドから横取りしようとするチャーリーの目論見は…。



小学校の頃、この作品の感想文を書いた記憶があるのですが、長らく私にとっての自閉症のイメージはこの「レインマン」のレイモンドでした。


レイモンドには重度の自閉があり生きていく大変さをたくさん抱えているけれど、同時に卓越した計算能力や記憶力を持っています。(重度のサヴァン症候群とのこと)


「いやー、障害だけめっちゃ重くてそんな物凄い特技とかない子もいるんだよね。」

…これは自分が重い障害のある子供の親になったから思うことかもしれませんが、“自閉症ってこういうもの”だと簡単に定義できるものではないと知った今、自閉症=誰それみたいな人ではなく、レイモンドはレイモンド、なんだなあ、と。



また障害児母となった今、この作品をみて考えさせられるのは、なぜ兄弟だったレイモンドとチャーリーが一緒に暮らせなかったのか、ということかもしれません。

チャーリーを守るかたちで親は兄を施設に送っていたということ。レイモンドの方に遺産をのこすことでチャーリーが兄弟の面倒を見ずに済むようにと親が取り計らっていたこと。


厳しい過去を乗り越えて、兄弟の絆を深める2人に心が温まる作品です。







3:「暗くなるまで待って」…盲目の婦人VS襲撃者…


暗くなるまで待って0609


小さな頃にみて、とてもインパクトのあった作品。


オードリー・ヘップバーン演じる視覚障害がある女性・スージーのところに、アクシデントから、密売の麻薬が届けられてしまいます。

麻薬を追ってきた犯罪グループの男たちの襲撃を受けるスージー。しかし彼女は、「部屋中を真っ暗にして」相手を自分と同等の条件に追い込んで、戦います。


地味な密室劇で今にしてみればかなり低予算の作品!?だと思うのですが、とにかくドキドキハラハラが止まらない秀作でした。


可憐でファッショナブルなイメージのあるオードリー・ヘップバーンが、か細いけれど力強い女性を演じていてとても印象にのこった作品です。







4:「マスク」…難病の息子と自由奔放なお母さん…


マスク0609



頭蓋骨形成異常疾患(ライオン病)と呼ばれる2,200万人に1人の奇病を持ったロッキー。皆と大きく異なる外見をしていますが、家族や友人は彼を特別扱いせず、普通に学校に通っています。


この作品では、自由奔放なお母さんが印象的。


お医者さんたちに向かって、「あなたたちの言うこと、全部真に受けてたら今頃うちら中国でポテトチップス食べてるわ!」とか言い放っちゃうカーチャン、カッケー。


薬に手を出してしまったり脆い人でもあるのですが、周りに対して一切取り繕ったりせず、ありのままでいるお母さんはなぜか憎めません。


そして息子のロッキーがなんといっても魅力的。決して卑屈にならず、明るく、賢く、ユーモアがあって、優しくて……キャンプで出会った盲目の少女との恋はとても切ないです。


個人的にタイトルとポスタービジュアルでちょっと損をしているように思う作品…。地味だけど良作です☆








5:「殺しが静かにやって来る」…寡黙なガンマンにシビれる1作…

殺しが静かにやってくる0609


人生でひと時、マカロニウエスタン(イタリア製西部劇)というジャンルにハマった頃がありました。

本作は「悪がはびこる街に、復讐を胸に秘めた凄腕ガンマンがやってくる」というこの手のジャンルの王道!?ストーリー。


にもかかわらず、主人公が声を出せない障害を抱えていたり(声帯に傷がある)…ヒロインが黒人女性だったり…西部劇に珍しく全編が雪景色だったり…となにかと〝異端〟な作品として知られています。



全然関係ないボヤキだけど、今年アカデミー賞作品賞をとった「シェイプ・オブ・ウォーター」も、障害を抱えた女性が主人公で、垣根を超えた愛を描いた作品だったみたいで…昨今のハリウッドはマイノリティにスポットを当てるようにしているのかしらね…。私の好きそうな作品だからそのうち観たいなあ…。


本作を監督したコルブッチ監督は、他にもハンデを抱えたガンマンが出てくる作品を撮っていますが、何も語らない・語ろうとしないけれど佇まいだけで物語ってくる男前ガンマンがとても印象深く、映像・音楽ともに個人的に大好きな作品です。








6:「カッコーの巣の上で」…精神病棟に紛れ込んだ異端者…


カッコーの巣の上で0609


舞台は60年代のアメリカの精神病院。

刑務所の強制労働から逃れようと、わざと精神疾患があるフリをして病棟に入ったマクマーフィーは、厳しい病院の管理体制に反発し、院内で絶対権力を誇るラチェット婦長と次第に対立を深めていきます。


アメリカンニューシネマの代表作で、自由や人間の尊厳について描いたいわゆる反体制映画というやつですが、小さい頃にみたときには、感動どころかマクマーフィーが病院によって”壊される”シーンに心底恐怖するばかりでした。


世の多くの人が抱く看護師さんのイメージをあえて大きく裏切るかたちで登場したラチェット婦長は、レクター博士やダースベイダーと肩を並べて、「アメリカ映画の悪役ベスト100」の上位にランクインしています。


病院側は悪を悪とも思っていないのがこの作品の怖いところで…ラチェットさんも管理社会からみれば優秀な人材かもしれないわけで…病院と患者の関係の対等さとか、多分今見ても色々考えさせられそうな作品のように思います。








7:「カーラの結婚宣言」…知的障害をもつ愛娘の結婚…


カーラの結婚宣言0609


主人公の女性・カーラには軽度の知的障害があります。全寮制の支援校!?を卒業して家に戻ってきましたが、それもつかの間、同じく軽度の知的障害がある男性・ダニエルと恋に落ち、自立と結婚をのぞむようになります。


障害を抱えていても、一人暮らしたり、就労したり…先にあげた「カッコーの巣の上で」ととても同じ国とは思えないアメリカ…。


本作で印象深いのは神経質で教育ママっぽい出で立ちの母役ダイアン・キートン。(この手のオカンがイライラさせるのは世界共通か…)過保護で娘を手放さず、結婚に大反対します。


今見たらこコッチのお母さんの方に感情移入しちゃったりして…この作品は良くも悪くもライトな感じで、多分1番大変な部分はあまり描いていなかったかもと思うのですが、カーラとダニエルの恋を応援したくなる明るい作品でした。








8:「トークトゥハー」…昏睡状態の女性を一心に介護する男の正体は…


トークトゥハー0609


事故で昏睡状態に陥ったバレリーナのアリシア。彼女を一心に介護する男性・ベニグノ。

ベニグノはアリシアの父が同性愛者だということで雇った優秀な看護師でしたが、実は事故の前からアリシアに密かに想いを寄せていました。

やがてある一線を超えてしまうベニグノ。そして悲劇と奇跡が訪れます…。



題材的にも賛否両論、娘の親になった今となっては到底許容できないストーリーのようにも思います。

多少のネタバレありきで見てしまった作品なのですが、粗筋を見たときに感じた不快感を本編でさほど感じかったのはなぜでしょうか…。


寝たきりとなったアリシアに、家族も友達も、誰も話しかけたりしませんでした。1人の人間として対等に接していたのは、ある意味ベニグノだけでした。


話が進むにつれ、このベニグノが幼少期からずっと母親の介護をしていたことが明かされます。どこにも出掛けられない、誰とも交わらない孤独な人生。


そんなベニグノと奇妙な友情を育むことになるマルコ。もしベニグノがマルコのような人とどこかで先に出会えていれば、彼の人生も異なったものだったのかもしれません。


登場人物みんなが孤独だけれど、なぜか嫌いになれない。重苦しいテーマのはずなのになぜかラストには誰かの幸せを願いたくなる、とてもとても不思議な作品でした。









9:「片腕カンフー対空飛ぶギロチン」…こんなんアリでっか!?


片腕カンフー対空飛ぶ0609


その題名のとおり、「片腕しかないカンフーの使い手」と「“空飛ぶギロチン”なる武器をあやつる盲目の暗殺者」の死闘を描いたカンフー映画。


映画「キルビル」の元ネタとして有名で、私もみたキッカケはそれだったのですが、とにかくツッコミが追いつかないB級映画でした。


主人公のはずのカンフーの使い手が姑息で、なぜかギロチンのおじいちゃんの方を応援したくなるっていう…。


当時みながらボンヤリと「こういう作品を“差別だ”っていう人いないのかな」…「でも差別っていう人が差別なのかな」…なんて思ったのを覚えています。



多分つくった人には(偏見とか差別とか)なんにも頭になくて、「オモロイアイデアないかな、よし、つくったろ!」っていうノリだったのかしらね~と思う、ホントにある意味カラッポで笑わせてくれる映画です。







10:「博士と彼女のセオリー」…難病のホーキング博士を支えた妻…


博士と彼女のセオリー0609


ホーキング博士については「宇宙物理学の権威というトンデモない頭脳の持ち主でありながら、ALS患者で重度の障害がある」ということだけ知っていて……「車イスに乗っためっちゃスゴイ人」というなんとなくのイメージしかありませんでした。



娘が生まれてから「この作品をみれば私でもホーキング博士のことが知れるかしら」…とどうしても観たくなってDVDをレンタルしてみたのですが、どちらかというと博士自身よりも博士の妻・ジェーンの苦悩を描いた作品でした。



博士の難病のことを知った上、覚悟を決めて結婚したジェーンでしたが、その夫婦生活にはやはり自分の時間・人生そのものを犠牲にする痛みが伴いました。


子供のケアと夫のケアってしんどさがまた別なのかも…ジェーンがヘルパーさん的なポジションで手伝いをお願いした男性と惹かれ合う心の軌跡も丁寧に描かれています。


でも2人の別離は、決して“博士に障害があったから”ではなく、“夫婦の価値観の違い”にあったのかな、と思いました。(ジェーンはキリスト教徒で博士は無神論者)


どんな夫婦でもよいときと悪いときがあって…別れても友人でいられる夫婦もいて…


21歳のときに余命2年と宣告されながら、76歳まで生きたホーキング博士。本作は私が期待した、「博士の精神に迫る作品」ではなかったのですが、夫婦関係について思いを巡らせることのできる興味深い作品でした。









11:「ブラインドネス」…全世界失明…

ブラインドネス0609


映画館をでたあと「こんな映画みなければよかった…!」と強く思った作品です。


世界中の人々が、原因不明の奇病により、次々に失明するというSFパニックドラマ。そこに描かれるのは阿鼻叫喚の地獄絵図でした。

主人公の女性ただ1人だけが、なぜかこの奇病を発症せず、1人だけ「見えている」状態なのですが、1人でなにかを成せるわけもなく、ただ自分の身近の人を救おうとするばかり…。


本作では、「すべての人間が障害を負った世界でもっとも強いのは、もとから障害を負っている人」…という描写があるのですが、これも善意ある方向に描かれておらず、重ねて気分が悪くなってしまいました。


みたことを忘れたい作品…だけどなぜか同時に忘れられない作品…。


ラストにて、この病が結局一時的なもので発症した順に視力が回復することが分かり、ホッと一息ついたのですが、そこでなぜか主人公の女性がものすごい憂鬱そうに「次は私だ」とつぶやいていて…


「この女の人は先に視力回復した他の人に看てもらえるから大丈夫じゃん。」と思った私には、主人公の女性の暗ーい顔が何をいいたいのかわからなくて、理解不能な映画でした。ホントなんで見ちゃったんだろう…。









12:「八日目」…ダウン症の青年とエリートサラリーマンが往く珍道中…

八日目0609



施設を脱走したダウン症の青年・ジョルジュ。仕事に追われ家庭崩壊気味の悲しいエリートサラリーマン・アリー。ひょんなことから2人が旅する様を描いたロードムービー。


あまり好きこのんで見ないフランス映画ですが、賛否が大いに分かれる問題作でもあるように感じました。


ラストにてジョルジュがいきなり飛び降り自殺をするという衝撃の展開があるのですが、子供の頃全く理解不能で見ていて戸惑ったのを覚えています。(自殺の描写としては残酷さや苦しみがなく、むしろ詩的なものとして描かれていたように思います。それがまたわかりにくく…)


ダウン症者に対して、なんとなく私は”天真爛漫で純粋そう”といった固定のイメージみたいなものを一方的に持っているかもしれません。

でもダウン症の人たちも(あるいは他の障害を抱えている人たちもみんな)人それぞれ個性は別々で…知的な障害を抱えていても深く悩むこともあって…その悩みもそれぞれで…


独特で大胆で分かりにくいけど、この映画はそういうメッセージをもっていたのかなあ、と大人になって思いました。

大人になった今またみてみたい作品です。








13:「ジャック」…4倍の速さで成長する少年…

ジャック0609



細胞の分裂が早く、1人だけ4倍の速度で成長するという奇病!?の持ち主ジャック。

長らく家庭で訪問教育を受けていましたが、5年生になるとき、家庭教師の勧めで学校に行くことに。


見た目は40歳。中身はみんなと同じ10歳。(これをロビン・ウィリアムズが演じています。)


最初はクラスメートの容赦ない口撃受け、拒絶されていましたが、大人の体格を生かしてバスケで大活躍。徐々にみんなと打ち解け、かけがえのない友達ができます。


「めっちゃいい子ばっかりやん!」とツッコんでしまったりもしましたが…。



「4倍で生きるということは4分の1しか生きられないということ。」このジャックの苦悩も、あえて爽やかに描かれている気がしますが、本作はフランシス・フォード・コッポラ監督が若くして亡くなった自分の息子に捧げた作品だそうで…。


この映画の持ってるメッセージ、ジャックがみんなに伝えたかったこと…”いまを生きる”ということは、簡単なようで難しいことだけど、心に留めておきたいことだと思いました。








14:「エクソシスト」…自分の子供の様子がおかしい…

エクソシスト0609


一般的にいえば”ホラー映画”にジャンル分けされる作品なのかもしれませんが、傑作人間ドラマでもあると勝手に思っております…。


ワシントンに住む女優のクリスは思春期間近の1人娘・リーガンと2人で暮らしていますが、ある日を境に娘の様子がどんどんおかしくなっていきます。


突飛な言動がでてきたり、暴力を振るうようになったり、自傷行為がでてきたり、次第にその異変はエスカレートしていきます。



この映画が怖いのは、突然子供が悪魔に取り憑かれました…などという雑なストーリー展開ではなく、「自分の子がだんだん普通と異なってくる」という恐怖が丁寧に描かれているところ。



確か町山智浩さんが書かれていた評論だったか忘れてしまったけど、「この映画で1番残酷なシーンは、実は、病院で子供が痛くて辛い検査に耐えているシーン」というふうに書かれていたような記憶があります。



「自分の子が得体の知れない病気かもしれない。」「しんどい思いをして検査をしてもなにも分からない。」…お母さんの思い、今痛いほど分かってしまうかも…。




本作のもう1人の主人公は、このお母さんの相談に乗るカラス神父。


日頃たくさんの人を助けているこの神父さんも実は心に闇を抱えていて、重度の精神障害を患った実母を施設に預けていることに負い目を感じて悩んでいます。


善人であるがゆえに悩み苦しむカラス神父。


障害とこの映画を関連付けて見てしまうのは突飛かもしれませんが、思わず逃げ出したくなる世の理不尽と相対した時、人はどうするのか?を問うた作品のようにも思いますし、意外に深い作品だと思っています。怖いのになぜか人生で何度も何度も繰り返しみた映画。







15:「ギルバート・グレイプ」…これぞまさに障害児育児で感じる閉塞感…

ギルバートグレイプ0609


ジョニー・デップ主演の作品で、若きレオナルド・ディカプリオが知的障害のある青年を演じたことで話題になった映画。


主人公のギルバートは生まれ育った町から出たことがなく、知的障害の弟アーニーや、父親が死んでから引きこもって過食症となってしまったお母さんの面倒を1人でみています。そんな中、“町の外”からやってきた少女ベッキーと出会い、少しずつ彼の中で何かが変わり始めます…。



「自分の人生がどこにもない気がする。」「自分はどこにも行けないような気がする。」


こちらも子供のころから、何回かみてきた作品ですが、なんとなく主人公の持っている“閉塞感”“孤独感”に今自分が1番思いを重ねることができるように思います。


ギルバートをみて今の私はどう思うか…不運で割をくらっている可哀そうな人だと思うか…大変だけど家族を愛する心優しい幸せな人だと思うか…


人生どうにもならないことはあるけれど、幸せは結局のところ自分次第なのかな、とも思います。


若き日のジョニー・デップもディカプリオもとてもイケメン♡ そして絶世の美女タイプじゃないけれどベッキー役のジュリエット・ルイスがとても魅力的な1作☆







***

娘が生まれてから、大好きだった映画もみなくなっていたけれど、この前思い切って夫と交代ですごく観たかった映画をレンタルしてきてみたら、すごく楽しくて…気分転換になって…


しんどかったり、大変だと思うときこそ、好きなモノに触れてリフレッシュするのとても大事だと思いました。


いい作品にまた巡り合える機会があるといいな☆





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2018-03-23(Fri)

夫に”共感”を求めてしまうとき

生まれてきた子供に重度の障害があって、夫婦関係全くギクシャクせず、子育てにあたれる親ってどのくらいいるんだろう??


障害のある子の家庭の離婚率は、通常の6倍!?などと言われているそうですが、なかなか厳しい現実なんだなあ、と思ってしまうデータです。



私の夫は、娘のことをとても可愛がってくれているし、医ケアや育児にも協力的な優しいパパなのですが……そんな我が家も娘が生まれてから在宅生活が軌道に乗るまで、ギクシャクしておりました。


(まあ、私がいい歳して精神的に実母に依存してしまったり、大人気なく一方的にイライラしたり、と今になって反省していることがたくさんなのですが…)






私の場合…夫が娘のことを、「そのうちよくなる。」「今に普通に育つ。」「口からも食べられるようになって、手術もいらない。」と長らく考えていることに、イラだってしまっていました。




母親の私は私で、療育に希望を抱くタイプの人間ではあったのですが、それは「出来るだけ悪い方向にあえて考えて一旦落ち込む。それからがむしゃらに頑張る。」という、ある種ヒネくれた思考…。



娘の診断がまったくハッキリしなかった頃……「かなり重い脳性まひじゃないかと思う。」「これから先ずっとかなり厳しいと思う。」などと家族に思いを話したとき、実母や夫が掛けてくれたのは「どうしてそんなに悪く考えるの?」「大丈夫、まだ分かんないよ。」「きっと良くなるって。」といった励ましの言葉…。



しかし私にはそれらが全くエールと受け取れず、自分との”意識のズレ”があることに、ひどく落ち込んでしまったのです。







昨年、障害に関する講演を聴きに行ったときのこと…「男性(父親)には男性(父親)の、我が子の障害を受け入れていく過程がある」というような言葉を耳にしました。



イヤー、当時の私には、父親側の障害の受容なんて考え、キレイサッパリ抜け落ちてましたね。


自分の方がしんどい、ツライばっかりで…。






夫とものの見方が一致しないこと。共感が得られないこと。



とにかく私はこれにイラだっていましたし、今でも同様のことで、イライラしちゃうこと、たまにあるんです…。






これは病院に行った帰りのある日のこと…

何だかとてもシンドイ1日で、自分の中でモヤっっとした気持ちが残ったことがあって、家に帰ってからその日の出来事を、夫にお喋りしてしまいました。


すると夫は、「じゃあ今度からはこういう点に気を付けて、こうすればいいよね。」などと、理路整然としたアドバイスをくれたのですが、私はそれにムスッ。


察した夫が「じゃあ何をいえばいいのよ?」という風に訊いてくれたので、


「うーん。求めてるのはそういう答えじゃないんだよね。『今日は大変だったね。ママはすごく頑張ったね。仕事が忙しいから2人で病院に行けないけど、いつも一緒に行きたいと思ってるよ。』 これで85点くらいかな。」と言ったら、


「ふざけんな。」と言われました。


そりゃそーだ(笑)






でも、別にアドバイス求めてるわけじゃなくて、話をきいて頷いてくれればいいのよ~っていうときがたまにあるのよ~っていう…。


友人の少ない私だけど、女同士の友人で久々に集まると、お互いのグチとかきいたり、きいてもらったりしながら、「だよねー」とか言ってストレス解消!?してる場面、案外多いかもしれません。


これは同じ障害児育児をしているお母さんどうしでも…。






在宅生活に入ってからは、”療育”について夫と思いが1つになっていないことをあれこれ悩んで、


「こっちの必死さを理解してもらえない。」

「ときどき温度差を感じてしまう。」

「頼んだことはやってくれてすっごく有難いんだけど、自分から子供にこれしたいとかいうのがない。」

「意見があるのかないのか分からなくて不安になるときがある。」



などなど、育児あるあるなのかもしれませんが、他のお母さんと一緒に話し込んでしまったこともありました。









外で働いてくれている上に、家族のことも大事にしてくれる夫には本当に感謝…。それでも娘の療育・我が子の成長のサポートについて、夫婦2人のうちの私1人だけの役割になっていることに、プレッシャーを感じてしまうことが度々あります。





そんな中ですが、今年に入ってから読んだ療育関連の本(以前の記事で書いたABAの46の課題の本)にて…

「家庭療育はとにかく大変な思いでやっている人が多い。」

「夫婦どちらか一方が療育を担当し、もう1人のパートナーは療育係がリフレッシュするときに子供をみる係でもいい。」

・・・などなど療育にあたる親のあり方について等があとがきに少し書かれていて、心に響くものがありました。





確かに療育係(受けているサポートのラインという意味も含めて)は私だけど、それはある意味普通の子育てでもそういうものだし、しっかり分担させてもらってるよね。…なんて、ホッとする私…チョロいなあ(笑)








私の娘は今3歳7ヶ月。


相変わらず母親の私は、我が子の発達や成長・あるいは生活そのものついて、あれこれ気を揉んだりですが、夫の方は、以前よりもずっと、そして私よりももっと、娘の障害を重く受け止めてくれているのかもしれない、と感じる場面が増えてきました。




子育てやリハビリに結果を求めるものではないと頭で分かっていても、向き合ってる当人はどうしても何処かでバックを期待してしまうもの。



夫は「ケアもいっぱいで家で過ごすだけでも大変なんだから、テレビでもみながらボーッとしてもいいんだよ。」なんて言ってくれます。


以前の私は、「そんな事なるかー!」って感じでしたが、最近ようやく、家族のうちのもう1人が、そういう風に声を掛けてくれることの有り難さに気付きました。








これまでも夫婦の中で、娘について、意見が割れることは度々ありました。(大きなことでは分離オペのことだったり、あるいは様子がおかしいと思ったときに病院に連れて行くかとかだったり…)


この先々も、そういう場面は色々あるんだろうなあ、と思っています。







娘について、私よりも夫の方が楽観的に捉えている部分もあれば、逆に重く考えている部分もある。

それぞれ部分部分で、考えや気持ちが違う方が、案外息が詰まらずにいられるのかも…なんて最近感じています。





共感を求める思いが時々エスカレートして、自分と違う考えの人を安易に批判したくなること。ありがちなのかもしれませんが、娘が生まれた頃の私が完全にソレでした。




考えが違えど夫婦2人ともが子供への愛情を向けられていることをまずよしとすること。

自分と違う考えをしている夫に、まずは気持ちを伝えてよく話し合うこと。
(時々言わなくても分かってよ!ってなりがち…)



これまでの自分省みて忘れずにいたいです・・・。






どーでもいいけど、最近は家族3人揃って!?花粉症…。

昨年あたりから本格的に発症した私…夫の方が花粉症先輩!?で、「(この大変な気持ち)やっと分かってくれた?」と言われてしまいました。

うーん、これは分かりたくなかったよ…。




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2018-02-13(Tue)

重度脳性まひの母が自閉症療育(ABA)の本を読んでみて

最近、お友達のお母さんから、「新しい療育をやってみた」というお話も聞いて、自閉症療育の本……主にABAという療育について、ちょくちょくと調べてみました。



娘のあおいは、絵カードでほしいものを要求するようになったものの、最近“食べる”ことばかり要求してきたり……他の人への興味がなく落ち着きがなかったり……そもそも呼びかけに反応しなかったり……かかわり方について改めて悩むところも多かったので、視点が変わるかな、と思ってのことでした。



そもそもの話、自閉症についてよく理解していない私ですが……



娘が1歳5か月のとき、主治医の先生に、「うちの子は自閉症も持っていませんか?そういう可能性もありますか?」とお尋ねしたことがありました。



「ものすごく障害が重いから見過ごされているけど、別のところで自閉症もあったりしたら、その療育はしなくていいのか。」とかアンポンタンの頭で分かりもしないことを考えていたのです…。



そして、当時の先生には否定され、また最近になって同様のことを色々相談しはじめても、娘の障害については、いわゆる“自閉症”とは異なるものだろうとお話を伺っています。




●娘の場合、そもそも脳の損傷からきている心身の障害の度合いがかなり大きい。(それは分かっているつもりなんですが)


●心身ともに感覚が相当に鈍い。それが“自閉”ともとれる反応のなさとしてあらわれている。


●自閉症児への療育も部分部分として取り入れるならアリかもしれないけど、現段階では相当にハードルが高いのではないか…と。





確かに私自身、発達障害や自閉に関する療育本をここ暫くちょっと読んでみながら、「うーん、同じことはできないなあ。」と、感じてしまいました。



でも今回初めて知れたことも色々あったので、最近読ませてもらった中で、印象に残った自閉症療育に関する2冊の本の感想を主に簡単に書き綴りたいと思います。





1・「“ママ”と呼んでくれてありがとう」


ママと呼んでくれてありがとう - コピー

「ママ」と呼んでくれてありがとう 自閉症の息子と歩んだ早期ABA療育の軌跡 」・ヒューマンケアブックス・杉本美花著




この本は、発達障害のお子さんのお母さんが、ABA療育というものに取り組み、その成果や育児への思いを記録されたものです。


1歳過ぎて成長に異変を感じ、2歳で精神発達遅延の指摘&自閉症疑いの診断…。その後すぐにABA療育を行なっているという会に入会し、訓練に取り組んで、良くなっていった…言葉を獲得していった…という軌跡が描かれています。



Amazonのレビューをみると、「この子の場合は結局そんなに重くなかったからこれだけの結果が出た。」というような感じの意見もありますし、私も自分の娘とはとても当てはめて読めるものではなかったのですが……


ただ、本の冒頭にて、お母さんご自身が取り組まれてきた療育について、「すべての子供の問題を解決できるわけではない」とハッキリ述べられていて、「知的障害は訓練すれば治る」などという誤解を与える内容にはなってはいません。



また「言葉を獲得できていない発達障害のお子さんが具体的にどんな訓練をしたのか」、という点でとても興味深く、分かりやすく読ませてもらいました。




この肝心のABA(※“応用行動分析”という意らしい)というものなのですが……アメリカの心理学者さんが創始されたもので、“環境を操作”しながら望ましい行動を教え、問題行動を減らしていく…という研究で、それに基づき主に自閉症の子供達を支援するセラピーが行われているようです。


(ABAのなんたるかについては、理解力の低い私がちょっと本を読んだくらいではとても正確に説明できないのですが…ざっくりとこんな感じ??)



とにかく本を読んで受けた印象としては、週に何十時間単位でセラピーの時間をとるようになっていることや、課題がとにかく段階的に細かく分かれていてスモールステップになっているのが特徴のように感じました。



絵カードもセラピーの1つとしてあげられています。


また基本的には机の上で行う課題が多いようで、できると“強化子”とよばれるごほうびを与えて、子供を躾けていく……という訓練色の強いもの。でも「子供を積極的に褒める」ことも推奨されていて、読んでいて暗いイメージは持ちませんでした。





私も少し興味を持って、この本に出てきた療育を行なっている会に、自閉症児ではない重度脳性まひ児・重度心身障害児でもセラピーの対象になるのか……医療ケアがあっても受けられるものなのか……など問い合わせをしてみました。



すると、医療ケアがあるからといって入会を断るようなことはない、とのこと。ただそもそもセラピー自体が親主体で行うものなので、ケアも誰かに委託できるものなどではないことは留意してほしい。


また訓練については、成果はお子さんによって異なり、脳性まひ児にも効果があるとは言い切れないけど、幅広い発達障害のお子さんをセラピーした実績があるので、生かせることがあるかもしれない。


ただセラピーを受ける体勢として??座れるかどうかが重要。椅子と机のようなものに座って課題に取り組むので、なんらかの形でそういう姿勢がとれるようにしてほしい。




……というように、とても親切に色々とお答えくださいました。





“座って課題に取り組む”っていうのは、肢体不自由児の親(しかも重度心身障害児の親)としては、その地点でかなりのハードルであるように思ってしまうんですけどね…



うちの子は床で座位をとれるようになってきたものの、座りながら両手を使う動作なんかは余裕がない感じです。座位保持椅子を使ってよければ、そういう状況をつくれなくないけど…やはり”身体が動かせない”という部分がどうフォローされるのか、そもそも体調のアップダウンに左右されてしまうということなども不安要素に感じてしまいました。



また無料で受けられるセラピーではなく、価格については……年会費やテキスト代などがありつつ(詳細は不明)、訪問を受ける場合は、1hあたり4,900円?らしい?(訪問は希望しても受けられなかったりすることもあるらしい?)




利用価格については子供の習い事などと比較してみてもかなり高そうではあります…。



ただ以前、訪問STさん利用の価格帯を伺ったときも確かこの位のお値段だったので、「人件費はこん位かかっちゃうんだね」という設定のように思いましたし、退会者の率を公表されていることなどからも、変なところで疑り深い私のアヤしい印象は吹き飛んで、よさそうなところじゃないかな~と個人的には感じました。




でも、そもそも身体の状態が安定しないこともあるうちの子が椅子に座って、課題学習をまとまった時間するっていうのはちょっと敷居が高すぎるように思えてならない…。




なんかもーちょい、ユルい感じで、うちの子でもABA的なことを自宅で簡単に出来たりしないのかしらね~とも思って、もう1冊読んでみたのが次の本…。








2・「家庭で無理なく楽しくできる生活・学習課題46」

家庭で無理なくできる生活学習課題 - コピー
「自閉症の子どものためにABA基本プログラム 家庭で無理なく楽しくできる生活・学習課題46」ヒューマンケアブックス・井上雅彦 編著




この本には、そのタイトルのとおり、「無理なく楽しくできる」というABAの課題が、46個、分かりやすいテキストのような感じで記されていました。(しかもシリーズで5冊出ているらしい。)



先程の「ママとよんで~」の本では、「発達障害の療育は早期が重要で、時間との戦い」…というかなり厳しい雰囲気をまとっていたのに対し、この本の先生は、「最近の脳科学では脳は成人になっても学習し続け、発達し続けるといわれている。」「療育はジョギングのようなもの。」「毎日少しずつでも続けていくことが大事。」と、より緩やかで優しい印象です。




ただ「無理なく楽しく」といっても、自分の子にはこちらもハードルが高いと思う内容ではありました。(←どっちやねんっていう…)



やり方次第でうちの子にも取り組めるのかな…と感じたのは、「着替えのときにこういうように場所を変えてこういう風にするといい」とかそういう生活に直結した部分。


また基本的な “どうぞ”と“ちょーだい”の練習なんかもしてみたいな、と思ったり……


“言葉”を意識して““りんごのオモチャを2個用意して、1個を見本としてみせて、同じものを出してくるように促す”とかそういう遊び方についても、なるほど、こういう目的を持って、そういう風に練習して、ステップアップしていくのね~というのが、分かりやすく、読んでいて勉強になりました。





加えて印象にのこったのは、取り組みについて、“ノートなどに記録をとっていくこと”が推奨されていたこと。



うーん、記録とったりすることは私、なんとなく自分を追い込みそうだし、“出来る”“出来ない”って書いてくの、なんか落ち込みそうな気がして、やってこなかったなあ…。


確かにこの本に書いてある課題の1つひとつは“理解”は簡単にできて、難しいものではない。



でも“実践すること”“観察し継続して行うこと”は、本当に大変だと思う…毎日記録つける位の真面目さも大事なのかもしれない……考えさせられてしまいました。








とにかく今回ABAに関する本を読んでいて、今更ながらですが再認識させられたことは、スモールステップで、段階に合わないことにはトライしないということ。



私が日頃、「こういうの分かるようになんないかな~」と勝手に夢見て、試しては玉砕していることが、いかに娘の段階を無視した独りよがりなものか、痛感させられました。



娘を診てくださっている先生からいただいた「心身ともに感覚が鈍い」というのは、娘の状態を的確にあらわしている言葉。


まずは、声をかけて目をあわしていく、褒める時は思いっきり褒めて母(他者)に興味を向けさせる、身体の方のリハビリやマッサージで感覚刺激を怠らない。



基本的なことを、日常でしっかりサポートしていきたいな、と改めて思いました。



(ただ娘にも、伸ばしやすい部分や伸びにくい部分などはあると思うので、部分部分で取り入れていける療育は、色々取り入れていきたいな~という思いもあります。昨年取り組んだ絵カードも娘を成長させてくれたので…)






個人的に、肢体不自由児のコミュニケーションと療育について、分かりやすく書かれているな~と思ったのは、香川県の特別支援学校の先生が書かれている、「支援教育だより」のPart5。


一部自閉との関連についても触れられていて、理解しやすく感じました。


ずっと前に、娘の視力のリハビリの参考になるかと、ここのページをみていたけど、もう1回熟読したいな~と思いました。


ゆっくり、少しずつ、ジョギングのように!?毎日ちょっとずつ出来ることをやっていけるといいな、と思います。


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2017-10-27(Fri)

セカンドオピニオンを受けたときのこと

“脳の画像に何の異常も見られないが、おそらく脳幹に損傷があるため重度の脳性まひである”


……という娘のあおいなのですが、1歳6か月のとき、大阪の病院に、セカンドオピニオンを受ける機会がありました。




この診断を受けるチャンスに出会えたのは、私の母(あおいの祖母)に因るところが大きいです。



関西から孫の世話を手伝いに来てくれた私の母は、「あんたはオリンピック選手を育てると思ってこの子を育てなアカン」と私を叱咤激励してくれ(笑)、「あちこちの病院を見に行って1番よいところを考えなくていいのか。」「もっと良くなるように必死に色々探さなくていいのか。」といった言葉も掛けてくれました。




私自身、病院については…

確かに最初にお世話になったNICUで診断がなかなか付かなかったときにはモヤモヤした気持ちがあったものの、転院した病院は脳神経の検査も詳しく行ってくれ、脳性まひという診断をつけてくれた点でも、感謝していましたし、さらに病院を探すことは思い浮かんでいませんでした。



しかし…!

私の母は、さらに「大阪の方にもいい病院があるかもしれない。」「今度私が(実家に)戻るときに病院の見学に行ってあげる。どこの病院がいいか探してみて。」と、なんとも行動力にあふれる助言をくれたのです。





そこで、私は、全国的に脳性まひの治療については有名らしいとウワサを聴いたA病院と、自分が読んでいた脳性まひの書籍に名前が載っていた先生や療法士さんがいるらしいB病院を、母にみてきてもらえないか、と頼むことになりました。



(加えて、あおいの生まれたときの状況や経過を書いた紙を1枚預かってもらうことにしました。)





関西から戻ってきた母は、みてきた病院の感想を教えてくれ、さらに、B病院では、アポなしの突撃だったにもかかわらず、病院の相談窓口にまで行って、あおいのことを話してくれたそうです。



そうすると、たまたまその病院の窓口に、読んでいた脳性まひに関する書籍の監修をされていた整形外科の先生ご本人がおられたらしく、


「先生がみてもいいと言っている。」

「患者本人が来れなくても、資料さえもらえれば、先生にみてもらうことができる。」




……という風に言ってくださったそう。


「娘自身はとても長距離移動ができる状態ではないが、そんな本人がいなくても診てもらうことが出来るのか。」

「整形外科は今まで掛かることのなかった診療科だなあ。」


……と、とりあえず喜ばしく思ったのを覚えています。



当初、(他の病院の雰囲気を教えてもらえばというだけで)診察を受けたいという思いは全くなかったのですが、リハビリについては在宅に入ったらどうしたらいいのかと色々悩んでいたので、整形の先生の話は是非ききたい…!という気持ちになりました。





そんなこんなで、長期入院にて診てもらっていた病院(今の掛かりつけ病院)の先生に、この経緯を相談することに…。


小心者なので、話の切り出し方にも迷ったのですが、


「母経由で大阪の病院にたまたま話をする機会があって、整形外科の先生に主にリハビリのことを色々ききたいのですが、いいですか?」…などと大層アバウトな質問をしたところ、


先生の方から、「セカンドオピニオンですね。なにを用意すればいいですか?」…とアッサリした感じで、資料を用意することを了承くださいました。




このとき初めて、「あっ、これってセカンドオピニオンってことになるのか?」などと気付くような鈍感さでしたが、医師に相談するにあたっての第1声が、「セカンドオピニオンが欲しい」というダイレクトな表現でなかったのは、もしかしたらよい部分もあったのかな、などと思っています。


(とにかく、自分が頼んでいることをきちんと理解してないトンマな状況で、あえてセカンドオピニオンという言葉でもって対応してくださった先生には本当に感謝ですね…。)





そんなわけで…


まずはセカンドオピニオンを受け付けてくださったB病院に、改めて電話で、必要な資料について遣り取りすることになりました。


そして、


●病院からの診療情報提供書とMRIの画像の入ったCD-ROM


●娘のリハビリの様子を撮影したDVD


●妊娠出産の経緯や、写真とともに娘の成長記録について記載した紙資料
(聞きたいことのリストのようなものも付けてしまった)



……を用意させてもらうことにしました。



そして診察日を予約してから、先に前もって、資料を郵送することに。


診察日には、私の代わりに、また母が話を聞きに行ってくれることになりました。


(夫に面会を代わってもらって、私が行ってもよかったのですが、分離オペ後の退院指導で慌ただしかったのと、もし災害などで交通機関が止まって娘の面会が出来なくなったらどうしよう、という不安もあったので、随分と甘えさせてもらいました。)








そして肝心のセカンドオピニオンの内容はどうだったか、ということなのですが……





あらかじめ質問したいこととして、あげていた事柄(主にリハビリについての不安など)については、すべてではなかったものの、いくつか回答をくださいました。



例えば……


●筋緊張は出生時より改善されてきているが、関節が固いです。装具のようなものを付けて常に関節を広げるなどした方がいいでしょうか。
→装具は子供が嫌がることも多いし、映像をみたところ自分で動く意思もありそうなので、無理につけずに、自由に伸ばしていくことを考えてはどうか。


●自宅でどんなリハビリをしていけばいいのか迷っています。何か素人でもリハビリについて学べるお薦めの本はありますか。
→母子入院をやっているところもあります、本は、「脳性まひ児の家庭療育」という本がお薦めです。


●胃ろうのオペを検討したいがどう思いますか。
→そんなに慌ててすぐに次のオペを決めずに、まずは経口摂取なども積極的に試してはどうか。

…などなど…。





訊きたいことの多くがざっくりした内容で、今読み返すと「こんな質問してどうすんの?」的な事が盛りだくさんでしたが、母から聞いたお医者さんのお話の内容が暗いものではなく、明るく前向きなものが多かったということに、先生のお人柄を感じ、嬉しくもなりました。




また、娘の脳性まひについては、大層疑問に思われていた様子で、


「画像に何もでていないのが不思議。」

「リハビリの映像をみたところ、首のぐらつき方が普通の脳性まひと異なっているような気がする。」??

「脳というよりも、脊髄部分に異常があるか、もし脳に障害があるとしても、極めて脊髄に近い部分では?」


…などとお話されていたようです。




この辺り、母からの又聞きになってしまうと、どうしても情報が不足してしまった部分もあったのですが……


先生は、脳幹の中でも、”延髄”とよばれる、脊椎にもっとも近い部分の損傷を疑っていたと思われ、延髄の外側が梗塞するによって生じる症候群…ワレンベルク症候群のお話をされていたのではないかと思っています。

(母がなんかカタカナの病名を言っていたよと、話してくれたので…)



この“延髄の外側部分”の損傷による障害の特徴?が、嚥下障害で、さらにここにしか損傷がない場合だと、運動機能は障害されない?らしい…。


(娘は、確かに嚥下障害の重度さに比べると四肢の動きは活発なのですが、それでも重度の肢体不自由でもあるので、障害を負っているのは、延髄の外側部分?だけではないんじゃないかなあ、とは今になって思うのですが…)



詳しい話はよく分からないものの、結局のところ、娘の掛かりつけの専門病院と、“脳幹障害”という点で、診断が極めて似ているように思われたので、この点でも“脳性まひ”という娘の診断に、より信頼が持てて安心することは出来ました。






***

また…少し話が脱線してしまうのですが、2017年2月(娘2歳6か月)には、脳に画像異常がないという条件にも関わらず、産科医療補償制度の申請が下りるという一幕もありました。

この点においても、「こんな脳性まひもあるのね。」と納得させられた次第です。特定できるかはともかく、原因分析については来年夏ごろまでに一応回答がもらえる……ということになっているので、何か分かったら書きたいな、と思っています。

***







そして、この診察後、診て下さった整形外科の先生が、娘の入院している掛かりつけ病院にお手紙を書いてくださり、娘は、もう一度、脊椎部分も含めてのMRIをとることになりました。


ただやはり画像には何も映らなかったそうで、診断という意味では、大きく目新しい情報は得られない、という結果でした。

それでも、同じ症状を探すのが困難な中、他の病院の先生の意見を伺えたのはとても貴重でしたし、有難いチャンスだったと思っています。




この先生には、母を通してのこの一度きりしか掛かっていないのですが、ご親切にも、「もし大阪に来ることがあれば、今度は紹介状なしでみます」とも言って下さったそうで、私からは、お礼状を書かせてもらいました。







なんだか、セカンドオピニオンというと……


●主治医の前で言ってはいけないワード

●今の病院にグッバイして次に行くときにいう言葉



…というようなイメージが私の中にあったのですが、実際のところは、そうでもないようで、
本来の意義は、「患者にとって最善と思える治療を、主治医と判断するために、べつの医師の意見を訊くこと」だそうで、本人不在でも受け付けている場合があるということも初めて知りました。



いきなり病院に見学?に行って、聞きたいことも明確にしないまま、とりあえず診察の確約を先に取り付けて、あとから資料を要求する……多分これは、本来のセカンドオピニオンの流れから大きくずれてしまっているし、ホントよく怒られなかったな(笑)と思うのですが、こんなこともあったね……ということで……。





なにより、母が私に、「自分の知り合いなどで病気になった高齢者たちは皆必死であちこち動いてよりよい病院を探している。なぜそれをあなたは小さい子のためにできないのか。」と言ってくれたおかげで、こういう経緯がありました。


母の気持ちには感謝なのですが、でも、やっぱり、私には、障害のある子の医療事情は、そういう高齢者の人たちとはまた違うんじゃないかなあ、という思いもあります。





障害のある子の親は、「病院に嫌われたら怖い。」「診てくれるところがなかったらどうしよう。」という不安をどこかで持っていて、(どんなにいい病院であったとしても)病院側とのコミュニケーションには気を遣ってしまう…。


加えて小児の特殊な病気は、患者数自体が少ないものの、診てくれるお医者さんも多くないから、俗にいう“病院のウィンドウショッピング”みたいなものは、出来るものではないんじゃないかと…。






ただ、在宅生活に入ってからは、セカンドオピニオンという形ではないものの、訪問診療の先生、療育園の先生など、娘と関わりのある医療機関が増え、同じことを違う科の先生にきける機会を増やせたことは大変有難く、昨年、胃ろうオペについて散々悩み倒したときにも、複数の先生の意見を訊けたことは、とても心強いことでした。



このつながりは今後も維持していきたいと強く思っていますし、娘の治療には親としても積極的に関わっていく、という姿勢は忘れないようにしたいと思います。




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2017-09-29(Fri)

地域の子ども達との触れ合い求めて

娘の胃ろうケアが落ち着きだした今年の夏から、市が提供している乳幼児の集まりの場や、児童館などに、娘を連れて出掛けるようになりました。


現在、娘のあおいは週1回児童発達支援のデイに通ったり、リハビリに通ったりしているものの、子ども達とのかかわりが圧倒的に少ないと感じる今日この頃……。


加えて、兄弟がいない1人っ子であること。母の私が専業主婦であること。


どちらも自分の子どもと向き合う時間が多くあるという点では大変に贅沢なのですが、どうしても家で2人っきりでいる時間が多いと、閉塞感を感じてしまうこともありました。





そんなわけで…
とりあえず、安易に参加できそうな、近くの子どもの集まる場所に積極的に顔を出せないかなあ、などと思い始めたのです。




出掛けるにあたっては、事前に、娘の状況を施設側にお伝えして、吸引という医療ケアが主に必要で、機械などを持ち込むこと等、色々お電話でお話をしました。



「そもそも子供たち全てに開かれている場なのだから、障害児だからって、気を遣って、そんな断りを入れる必要はない」という気持ちもありますが、事前に色々話しておいた方が、私自身がサポートを受けやすく楽かなあ、何かあった時のためにもいいかなあ、と思ったので…。




また集まりの場によっては、“参加年齢0歳~3歳”というところもあり、「今年7月で3歳になった娘は年齢的にオーバーなのかしら」…と参加を迷ったところもあったのですが、これには都の保健師さんも相談に乗ってくださり、保健師さん側からも、施設の方にお話をしてくださいました。


(3歳といっても、娘は未だに道を歩いていると、「何か月ですか?」ときかれるくらい、月齢に関しては、良くも悪くも、かなりサバが読めてしまうのですがね…。)







そんなこんなで、こういう集まりの場の雰囲気すら全く分からないまま、ドギマギしながら通い始めたのですが…


乳幼児の集まりの場も、児童館も、こういう場所は、やっぱり、赤ちゃんというか、1歳未満のお子さんが圧倒的に多い。(1~2歳過ぎるとみんな保育園に通いだしたりするものね。)



同年齢で行う集団保育的なものとは雰囲気はまるで違いますが、走り回ったり、ハイハイするお子さんや、大きな声で泣く赤ちゃんがたくさんいて、その空間にいるだけで娘にとっては大きな刺激であるように感じました。


またヒトよりもモノに対する興味が強い娘にとって、大勢の人数がいる場所を経験させられるだけでも、貴重です。



この年齢だと“一緒に共通のことをして遊ぶ”というのはなかなか無いようなのですが、それでも、娘に向かってきてくれるお子さんがいたり、同じオモチャを取り合いっこ?したりするような場面があったり……兄弟のいないあおいにとっては、なかなか普段経験できないようなことが沢山ありました。







そして、こういう場所に行くにあたって、私が密かに心配していたこと…

それは、


「娘が異質な存在としてジロジロみられて、母親の私がしんどくならないかな。」
「知り合いがいないところに出かけると、1人だけ孤立したりして、落ち込んだりするのかしら。」



なーんて…この期に及んで、自分のメンタルの方をあれこれ不安に思っておりました(笑)。




確かに、最初の数回は、ずずーんと言いようのない疲れがあったのは事実ですが、(吸引するのに周りの目を気にしてしまったり、あと1人だけ荷物が多くて中に入るまでがしんどかったり…)回を重ねるごとに少しずつ場離れしてきました。



娘をギョッとして見る方もおられなくはないですが、今のお母さんたちは優しい人たちが多いのか、「かわいそう」とか「怖い」などと言う方はおられず、普通に娘の年齢を訊いたり、話しかけてくれるお母さんもいて、暖かいなあと思いました。



またこういう集まりの場に私が勝手に抱いていたイメージ…児童館ではママ友のグループみたいなのが出来上がっていて、1人でいると浮くのでは?…というのは、実際のところ、そんな雰囲気でもないように感じました。

(私がオモチャ図書館が来ている時だったり、イベントのときを狙って参加しているのもあるかもしれませんが…)



知り合いどうしで集まられているお母さんたちも多そうな反面、走り回ったり、駄々をこねたりする自分のお子さんの世話にかかりきっている方も多く、優雅なママ友の集まりとは程遠く、みんな必死(笑)。案外、娘も私も、その中に紛れられて過ごせるものだなあ、と。





最近は、徒歩で移動できる場所にある、乳幼児の向けの集まりのスペースによく参加させてもらっているのですが、こちらでは、カウンセラーさんや助産師さんが、母の悩みをきいてくださる…というような日もあって、私自身、外に出て、娘のことを話せる場があることが、大きな気分転換になっています。



保育士さんもおられて、娘の成長や遊びについて、みてくださるのも嬉しい。集団保育的なことにも触れるチャンスを下さったりして、本当に、本当に、有難く感じています。






単発の集まりだと、継続して人間関係が築きにくいこと……障害児育児をしているお母さんとは直ぐに色々な共通の話題が出てくるのに対し、上手く話せず、打ち解けられない自分がいること……。



これは正直なところ、悩みに思う点ではあります。



でも、これは、“母の気持ち”に因る悩み…。



去年、自分のメンタルがどん底にあって、カウンセリングを受けていたとき、その先生が掛けてくださった言葉の中に、「何かに迷ったときは、感情と目的を整理してください。そうすると最初に掲げたであろう目的は、感情を必ず上回るはずです。」というものがありました。



娘の障害についてもっと知ってもらえるといいなあ、とか、健常児のお母さんたちとすぐに打ち解けて仲良くなれたらいいのになあ、というのは、私の感情の問題。


人生何事もそんなにカンタンに100点満点とれるようなもんでもない。特にこんなに不器用な自分ならなおさら。


「娘が子供達と触れ合う機会を増やす」という当初の目的が達せられていれば、それだけでも充分じゃない、と思うと気持ちが軽くなりました。





来年4月からは療育園へ娘の通園を開始できないかな、という思いがあって、今お世話になっている、3歳までという乳幼児の集まりの場には、それまでの間、もう少しお邪魔させてもらいたいな、と考えています。



娘の育児について……とにかく内へ、内へと向かっていることの多かった私のエネルギー(笑)……地道に娘と療育に取り組む時間も大事にしたいと思っていますが、外へも目を向けつつ、母親の私自身も、少しずつ、“触れ合い”を超えた、地域との“かかわり”を色々模索していけるといいな…と思っています。




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原因不明の脳性麻痺の娘・あおいについて綴るブログです。喉頭気管分離オペ・胃ろうオペを受けています。

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