2017-06-03(Sat)

私と、私の母の関係をみつめなおす(後編)

(前編の続きです。)


昨年の11月……
以前、心療内科デビューに一度失敗していた私は、自分の悩みを相談するカウンセラー探しに慎重になりました。


●少し遠方でもいいから、“家族関係の悩み”を専門にみてこられた人に話をしたい
●相談相手はできれば年上の女性の方がいい
●料金体系は明確に示されたところがいい



利用者のレビューなどもネットで探しながら、よさそうだというカウンセリングの場がどうにか見つけられました。

土曜日の午前……私は夫に3時間ほど、娘をみてもらうことにし、電車で40分ほど揺られて、カウンセラーに会うことになりました。
(夫の協力もあってこのカウンセリングを受けられたわけですが、夫は、私が娘のことで悩んで受けていたのだと思っていました。)


カウンセラーは、私の願いどおり、年上の女性の方でした。


私がカウンセリングなるもので最も恐れていたこと…それは、おいしいクッキーを焼いたステラおばさんのような優しい顔をした人から、「あなたはなーんにも悪くないわ。ぜーんぶあなたの親が悪いのよ。」などと、自己を全て肯定されることでした。

このとき、私は“癒し”を求めていたわけではなく、自分が悪いのかどうか…“審判”を求めていたのです。



私は、お会いしたカウンセラーの先生の第一印象をいたく気に入りました。優し気ではあるものの(事実、優しい先生だったのですが)、自分にも他人にも厳しそうなオーラが満ち溢れているように感じられたのです。




まるで学校の面談室…のような雰囲気の部屋に通されて、ソファに腰かけると、私は自分の悩みを少しずつ、この先生に話しはじめました。

娘が重度の障害を持って生まれたこと、手伝いにきてくれた母と喧嘩したこと、父とは長年話していないこと、今度はその父が病気になったこと…


出かける前の私といえば、“思いっきり母の愚痴を他人にいってみよう”などと意気揚々としていたにもかかわらず、いざ先生を目の前にすると、母のことを悪くいう言葉が、不思議となかなか口から出てきませんでした。


話をききながら先生は、

「父親と上手く話せないといった悩みでここに来られる人が結構いるが、紐解いていくと、結局母親との関係に問題があった、というケースは多い。それくらい母親とは子供にとって大きな存在である。」

というように仰り、その言葉がとても印象にのこりました。

また「あなたのお父さんは物凄く感情表出が苦手なのかもしれないが、娘のあなたに一切情がないわけではないと思う。」とも述べられました。


結局、この1回目のカウンセリング(当初1回だけ通うつもりが結果4回も通うことになりました。)では、両親や障害のある娘のことについて、おおまかな情報を話すに留まってしまったのですが、カウンセリングの終わりに、先生はこう仰いました。


「ご自分で気付かれているかわからないが、あなたは、〇〇すべきではないか、という言葉を多用している。」

「考え方が、自分がなにをしたいか、ではなく、〇〇すべき、という“べき思考”に陥ってしまっている。」


私は自分ではそんなつもりはなかったのに……とただただ驚いてしまいました。

でも確かに、父が病気だときいたときにも、私は、“自分がどうしたいか”……“心配だから父の見舞いをしたい”というよりも、“一人娘なのだから自分が当然なにかすべきではないのか”などという思いの下、悩んでいたのではないか…ということに気付かされました。

先生は、「もっと自分がなにをしたいか、明確な気持ちを持った方がよい。」とアドバイスくださいました。

また、
「今もっとも大事なのは、あなたの家族(私と夫と娘)が幸せであるかどうかだと思う。あなたは娘さんのことで、今大変な状況なのだから、自分の家族を一番大事にするとよいのではないか。」

というように仰ってくださいました。



そのカウンセリングを受けてから……私は、自分が両親とどう向き合いたいのか、もし父と過ごせる時間が僅かだとしてなにをしたいのか……もう一度考えることにしました。


私が、まず自分の正直な気持ちとして認めたのは、私が両親(特に母)に今になって自分の子供時代について怒りと悲しみを覚えていること……その思いを両親に伝えたい……ということでした。


私はこれまでに読んだ親子関係の書籍をもう一度読み直すなどして、世におられる、両親との付き合いで悩んだ方々(私と比較にならないような深刻な悩みの方も沢山おられましたが)どのような行動をとられてきたのか、参考にしてみることにし、その中から、“親に手紙を書いて気持ちを伝える”というアプローチにチャレンジしてみることにしたのです。



(ちょうどこの頃、娘のあおいは抗てんかん薬の治療中で、その副作用なのか、一時的に昼寝の時間がすごく長くなってしまい、私に手紙を書く作業の時間を与えてくれました。)


電話などで話すよりも、手紙の方が冷静に自分の気持ちを色々伝えられるかもしれない……そして手紙であれば、長らく話していない父とも、言葉を交わせるかもしれない…と思いました。


そして、私は手紙を書く行為の中で、まず土台として、自分の子供時代から今までを振り返り、嫌だったこと、辛かったこと…反対に嬉しかったこと、感謝していることなど、エピソードを書き綴っていき、伝えたいことをまとめていきました。



宛名など以外はパソコンで打つことになり、大き目のフォントで読みやすいようなるべく工夫しながらも、結果的に、母宛てに書き綴った手紙は、かなりの長文になってしまいました。


母にはまず、育ててもらって感謝していること、あおいのことで助けてくれて嬉しかったこと、今も私が母を大事に思っていることを伝えました。その上で、


●母と私の関係で問題があったと思うこと(愚痴を延々ときいていたこと、過干渉で私がそれに応えられないと存在を否定されるようなことがあったこと、母が異様に他人の目を気にして私もそうしなければならなかったこと等)

●私が今後の母との関係にのぞむこと(母の親友をやめたい、また今の私が母の愚痴をきくのは危険だと思うので今後会うときにはできれば2人きりは避けたい、失礼ながらしばらく疎遠にした方がお互いにとってよいと思っている等)


……を綴っていきました。



手紙を書くと、不思議に気持ちがスッキリとしてきました。

手紙は母宛てになったものの、父に伝えたいことも意識して書いたので、両親にこの手紙を読んでもらいたい……私は心からそう思いました。


ここで、私はもう一度、カウンセラーの先生にお会いすることにしました。

先生に事前にお電話で、親に手紙を書いたことをお伝えし、それを両親に渡す前に、先生に読んでもらってアドバイスをいただけないか…とお願いしてみたのです。


先生は了承してくださり、その上で、“手紙で思いを伝えることも、手紙の内容も良いが、お父さんに渡すのはどうかと思う”“もしお父さんに渡すのであれば、お父さん宛てに1枚手紙の内容に関するワーニングや、健康を気遣う言葉をかけた方がよいと思う”……とアドバイスくださいました。



確かに、手紙の中には、一部、母が私にいった父の悪口のようなものも載せられてあったので、闘病中の父が読むのにはエネルギーがいるかもしれない、と思いました。


けれども、たとえ父にこれ以上ないくらい嫌われたとしても、一生このままなんの会話もなく、お互いなにを考えているか分からない奴で終わってしまうよりは、ずっとマシだ、と、私は父宛てに別に数枚の手紙をつけさせてもらうことにし、“母への手紙”を、父にも読んでもらえないか、お願いしてみることにしました。



手紙を出す前に、まずは送ることを2人に了承してもらうため…私は実家に電話をかけました。母が電話口にでて、私はまず母に手紙のことを説明し、それから父に代わってもらうようお願いしました。


はじめての父との電話での会話……それもまともに話をするのが10何年ぶりという有様でした。


実家に電話をかけるとき、私は全身ブルブル震えていたのですが、電話口の父は、物凄く元気そうで、かつてなく明るいような雰囲気でした。


私が父に病状を尋ねると、「かなり体調がよくなった。」というように言いました。

父は父であおいの病状をきき、私がそれに答え、そのあと父はなぜか大河ドラマの話を楽しそうにはじめました。予想外に父が元気そうだったことに私は驚いてしまいました。


私は、「今後家族になにかったときのために父の携帯番号を教えてほしい。」と尋ね、(今までそれすら知らなかったのです)また、これから父母宛てに手紙を出す、手紙は大部分母宛ての内容だが、父にもそれを読んでほしい、とお願いをしました。


父はそれを了承してくれました。

(父の病状について……このあと分かったことですが、父は本当に末期の食道がんで、肺と肝臓に転移していて余命数ヶ月だったそうですが、抗がん剤がピッタリあい、お酒を辞めて食事に気を付けると、一気に転移していたがんがなくなり、快方に向かったそうです。もちろん経過を今後も慎重にみなければならないそうで、楽観的にばかり捉えられませんが、父が快方に向かったことに、とても感謝しています。)




こうして手紙を出したのが去年の年末……


年明けには、母から返事がきました。

母は、今後の私と母との関係について了承してくれながらも、手紙に綴った内容については、当然ながら不満も感じたようで、「私はこれまで一生懸命あなたを育ててきたのに。」と母の思いが綴られていました。


父からは一切の返事がありませんでした。
その後も、私の連絡先を添えつつ、療養に必要なアイテムを贈ってみたり、色々してみましたが、なんの音沙汰もありません。



体調がまた悪化したのか心配にもなりましたが、その後、父が旅行に行ったという話も親戚伝いにきき、安心したものの、私に感じたことが、怒りであれ、失望であれ、母を通してでしか私とコミュニケーションをとらないという姿勢が、今の父の答えであり、私もそれを尊重しようと思いました。


“手紙を出して得られたもの”……それは、私個人の自己満足に留まるところが大きかったかもしれませんが、それでも、生まれて初めて、両親に自分の気持ちを率直に伝えられたことは、私の気持ちをなぜか明るくさせてくれたのです。



その後……私は、親子関係に問題を感じた人が自身の精神状態を改善するためにとったという、他のアプローチ……
ということにも、チャレンジしてみることにしました。


私は、自分の夫にも、母に書いた手紙の一部を読んでもらい、これまでに悩んでいたことなどを正直に、少しずつ、話してみました。

自分の母が、夫の悪口まで言っていたことを夫本人に伝えるのには、とても申し訳ない気持ちでいっぱいになりましたが、夫は怒りもせずにきいてくれ、ただ純粋な驚きをもって、それに応じてくれました。


また、私は、自分の伯母(東京にいる母の実姉)に連絡をとり、私が(娘のことで母が下宿させてもらっていたことで)東京にいる間にお世話になったお礼をのべつつ、母とのことで相談したいとお願いし、会っていただくことにしました。

伯母は伯母ならではの目線で、私と母の今後の関係性について、色々とアドバイスをくれました。


「妹は確かに妬みの強い人間で、疎遠にしたくなる人間だと思う。私も7年くらい一切疎遠にしていた時期があった。」

「でも私には孫や娘になかなか会えない妹を可哀そうに思う気持ちもある。」

「家族だから、そのうち時間がたてば、また普通に会えるようになるかもしれない。」



そして、「あなたがお母さんをもっと前に嫌いになっていられれば楽だったのに。あなたはお母さんが大好きだったのね。」と言葉をかけてくれました。

本当にそのとおりだと思いました。


私が、どこかで母との関係に問題があると思いつつも、その思いをひた隠しにしていたのは、私自身の中に、母に甘えたいという依存心があり、“母が認めてくれれば何事もいいのだ”と、自分で考えることを放棄してきたからのように思えました。



母親というものも未熟で、決して完璧な存在ではない……そのことに、私は自分が親になるまでなかなか気付きませんでした。


そして、最後に、カウンセラーの先生にも、もう一度お会いすることになり、力強いアドバイスをいただくことになりました。


「自分の親が嫌だといってここに来る人がたくさんいる。けれどその中には、自分が嫌だと思っている親とまったく同じ価値観になってしまっている人もいる。でも、あなたはそうじゃなかった。今後なにかに迷ったときも、あなたとお母さんは全く別の人間であることを、強く意識して下さい。」




人はそう簡単に変われるものでもなく、私の中には、今も色濃く、「~べき思考」がのこっているように思いますし、自分の本当の気持ちを見失っているように感じるときもあります。


ついつい、人に悪く思われることを恐れて、まわりをみてしまうようなときも沢山あります。



けれど、母であれ、誰であれ、自分と全く同じ考えの人間などいない。誰かに無理にあわせる必要もない。人と比較することはそれだけ馬鹿らしいことなのだ……と気付くと、(大変ながらも)今の生活に幸せを感じられるようになってきました。




両親とは、私の気持ちも、娘の状況も、もう少し落ち着くことができたら、また連絡をとってみようと思っています。

また、これまで取り組む機会のなかった親戚付き合い……ずっと母からきいた言葉からの偏見の目でしかみてこなかった父方の親戚(祖母が亡くなっていることが残念でなりませんが)とも、話をしてみたいと思うようになり、自分から葉書などで便りをだしたり、自分自身で関係をほんの少しずつでいいから構築できないかと、トライしてみることにもしてみました。


これまでの人生、後悔していることもあるけれど、今もある自分のつながりは、とてもとても大事なもので、誰とも比較せず、自分で自分の人生を楽しんでいきたい……ゆっくり成長する娘とともに、私自身も私ならではのぺースで成長していけたらと思っています。



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育児にあまり関係ない長文をダラダラ吐き出してしまいましたが、また娘との記録も書いていきたいと思います。


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2017-06-03(Sat)

私と、私の母の関係をみつめなおす(前編)

今回は、育児そのものと直接関係のない、母親の私のメンタルヘルスに関する記事です。


もしかすると人様を不快にもするかもしれないトピックですが、書こうと思ったのは、1つには、自分の気持ちをスッキリさせたいという思い。そして、もう1つには、私と同じようなこと(実の親との関係)で悩んでいる人は結構いるのではないか……と思ったからです。

ネット上でオープンに、私と似たような悩みを語られている方々に、私は昨年、たくさん助けられた気がしています。


まず自分の問題点に気付かせてくれた本について書いていこうと思っていたのですが、それはヤメにして、自分が悩んでいたことをそのまま書いてしまいました。

昨年、重度の障害をもった娘とのはじめての在宅生活がはじまってから……


私は、孫の世話を手伝いに来てくれていた実母と大ゲンカしてしまい、そのあと実家に帰ったその母から、10年以上お互いに一切会話をしていない実父が末期ガンだと報告を受け、落ち着きを失ってしまっていました。


障害のある我が子との触れ合いの中で悩むこと、毎日の医療ケアに心身どっぷり疲れてしまうこと……それ以上のストレスが、自分にかかっていたにも関わらず、私はそれすら認めようとせず逃げていました。


なぜ私は母と喧嘩してしまったのか。なぜ父とずっと話もできていなかったのか。

長文ダラダラですが、前編が主に私の悩みについて、後編がカウンセリングに通うなどして悩み解決に向かっていく話になっています。


**********


娘のあおいが、重い障害を持って生まれて暫くしたあと、私の実母が関西から上京し、1年ほど孫の世話を手伝いにきてくれました。

最初、母は東京にいる伯母(母の姉)の住まいに滞在させてもらい、その後、私達家族が、病院から比較的近い場所に転居することになったあとは、私と母との同居のような生活が暫く続きました。(夫は平日夫の実家の方に住み、土日は私たちと一緒にいるような感じになっていました。)



このあいだ、父は関西に1人残っていましたが、私が高校生のときに、両親は、半ば家庭内別居のようなかたちになっていたので、このときの私といえば、この生活形態をさほど気にしていなかったのです。


母はあおいをとても可愛がってくれました。
私は1人娘で、母にとっては初孫、唯一の孫です。


たくさんあおいと遊んでくれたり、病院の面会を代わってくれたり、リハビリを頑張るように叱咤激励してくれたり……また私が病院に行っている間の家事なども沢山手伝ってくれ、母には心身ともに大きく助けられていました。


それなのに、なぜ私はその母とケンカしてしまったのか?


それは母が、私の夫や義母の悪口をいいはじめたからでした。

最初は軽い愚痴のようなもの……母も遠くから来た上、慣れない孫の世話を手伝ってもらって、ストレスが溜まっているのだろう…と思い、軽くきいていました。それに私自身も、先の見えない長い病院生活の中で、夫をはじめとする人間関係に不満が出てくることもあったので、それに乗ったりしていました。



ただ段々と熾烈を極める母の悪口……それも、些細な相手の欠点をも貶めるような発言や、嫉妬心からくるような相手への批判などに、違和感を覚え始めました。


加えて、「(私の)夫や義母は、本当はあなたに強い不満を持っている。」「今にあなたも夫と仲が悪くなる。」というような母の言葉にも、疑問が湧いてきました。



そういえば、母は昔からこんなことばかり言っていなかっただろうか。


私は小さいときから、自分の父親や、父親の家族、ありとあらゆる人の悪口を、母から延々ときいていなかっただろうか。

ふと、私は自分と母の関係を見つめなおすことになりました。



母親が子供に、ついつい愚痴めいたものをこぼしてしまう場面は、よくあることのように思いますが、母が私に流してきたものは、その質も量も、振り返れば子供の私が平静に受け止められるものではなかったのです。



母からきく、父や祖母のエピソードひとつひとつは、幼い私にとっては衝撃で、ただただ恥ずかしく、物珍しく、“そんな人の子供で恥ずかしい”という気持ちでいっぱいになっていました。



加えて、「あなたのお父さんもおばあさんもあなたを可愛く思っていない。」という母の言葉をひたすら信じ、そのことを憎みながら、それでも、“我が子のために離婚しないというお母さん”だけを、長年心の拠り所にしていました。



けれど、今回娘のあおいのことがあり、私が、高校卒業後、実家を出て以来、母と久しぶりに寝食をともにすることになって、今更ながらに気付かされることが多々あったのです。


「母は相当ひねくれた目線で、私の夫家族を批判している。私の父や親戚たちも、本当にそんなに意地の悪い人たちだったのだろうか。」

「私はずっと父と自分の関係に問題があると思っていた。けれど、実は、母との関係に一番問題があったのではないか?」

そういった思いが湧き出てきました。


加えて、私自身が母となることではじめて、“子を持つ親”の視点となり、

「もし今まできいてきた悪口が全て真実だとしても、私であれば、娘のあおいにこんな風に話すだろうか?」

と、考えることにもなりました。



ずっと私の親友だった母……。
一緒に映画をみたり、同じ本を読んだり、テレビみて笑いあったり……。
昔から「友達みたいに仲良くていいね。」といわれ、病院でも「優しいおばあちゃん」と何度も声をかけられ……


私は、人生ではじめて、その母に強く抗議することとなりました。



そうすると母は私自身にも次第に強い批判を向けるようになり、挙句「期待とちがった馬鹿な子供」「会社をやめたアホな女」などと言われてしまいました。


(私も母に、「文句があるなら本人にいえばいいのにいえない、三流の八方美人」「就活もしたことがない主婦のあなたに会社勤めのなにがわかる」などと随分キツい言い方で、色々と返してしまいました。)


けれど、なんとなーく、実は私が小さいときから感じていたかもしれない、私たち母娘関係の違和感が徐々に明るみにでてきました。


「いつも母は、母自身が出来ないことを、娘の私に出来るようになることを求めていた。」

「ひょっとして母は、私をとおして自分の人生をやり直そうとしていなかったか。」


そんな思いも湧き上がってきたのです。


ここで私は母と対立してしまい、「あおいのことはもういいから、もう帰ってほしい。その方がきっとお互い楽。」と願い出るに至りました。


このとき、私の方は、「暫く疎遠にしたい。」という一心でしたが、母の方は、「いい歳した娘がちょっとグレている。」というような心情だったようで、私たち母娘の間に、大きな感情の隔たりができてしまいました。



そしてそのわずか1ヶ月後……実家に帰った母から、“父が突然、末期の食道ガンだと判明した”という衝撃の連絡があったのです。

私と父との関係にも、いくつか問題があったのではないかと思っています。

小さいときから私は、父に苦手意識を持ってしまっていたのですが、その原因は、主に、父の酒癖の悪さでした。


こちらに全く非がないと思われる状況で、叩かれたり、怒鳴られたりしたこと……本人にとっては全く覚えがないのかもしれませんが、私はそういったことを根深く恨みに思っていたのです。


加えて母からの愚痴が、父に対して穿った見方をしてしまうようになり、意識的に父を遠ざけてしまっていました。


そんな私たち父子が、お互いにまったく口をきかなくなったのは、私が高校3年のとき。

ある日から突然、父が、一日中、酒浸りで家にこもる様になったときからでした。

異様に思って、母にきくと、会社をいきなり辞めた、とのことでした。

母は、父への怒りをあらわにし、父を侮蔑的な呼称で呼んで、私もそれに乗じました。



このころ…

父は、会社をやめた辛さから逃げて、ひたすらお酒を飲む
母は世間体から、父が退職したことをひた隠しにする
私はひたすら自分の大学進学の心配をする



…と、それぞれが自分のことしか考えていない、最悪の状態でした。


今にしてみれば、父は父で、会社から依願退職を通知され、思いつめて辞めてしまったこと……私自身が社会に出たあとには何となくは分かるその辛さも、当時は全く理解できず、私は、母と一緒に父を非難するばかりでした。



父はそのあと暫くして再就職することになったのですが、この頃から、私は父と口をきかなくなり、そして、なぜか向こうも、私が帰省したときにも、また不思議にも私の結婚式のときですら一言も私に声をかけず、父子ともに目も合わせない……という状況になってしまっていました。


(母は不思議と、必要なことだけ父と会話したり、冠婚葬祭の場では問題のない夫婦を演じたり…と、上手にこなすことが出来ていました。)




そして去年……母から、突然、父が末期ガンだときかされたとき……
情けないことに、私は父に何をいえばいいのか、自分が何をすればいいのか、全くわからなかったのです。


「私が孫の世話を母に手伝ってもらったせいで、こんなことになったのか。」と自分を責める気持ちも出てきました。


そして、今の今まで、親子関係という名の人間関係を築くことを、一切放棄してきたツケが全てまわってきたように思われました。


母に、父の病状(ステージ4で間違いないか、余命宣告はあったか等)や治療方法についてなど再三訊いたにもかかわらず、母はそれについては、「本人からは、病気のことを誰にも、娘のあなたにもいうなといわれてるから、それについては、いえない。」と、何故か一切黙秘されてしまいました。



「病気のことを自分の夫にも伝えていいのか」「今すぐ私は実家に帰った方がいいのか」「もし余命数ヶ月ならあおいも連れて一度実家に帰ろうと思うがどうか」「あおいよりも父の方が(医療ケアが少ないし)移動できるなら、こちらにきてもらってもいいと思うが、どうか」……


などときいても、具体的にこうしてほしいなどの要望も母からは一切出てこず、結局自分の娘の世話にいっぱいだった私は、ガン治療に効果のある食事の料理本や、その調理器具などを、実家に送るにとどまりました。




迷った挙句、私は、結局、夫や在宅の先生に、父の病気のことを話し、“私はもしかしたら娘を置いて、急に実家に帰らなくてはならなくなるかもしれない”……と、帰省方法などについて相談しはじめたのですが、母からは、次第に連絡が途切れていき(私が母の対応に苛立って怒ってしまったからだとは思うのですが)、私からも連絡をすることを辞めてしまいました。



私が、自分のこれまでの家族の状況を、夫や友人に打ち明けた上で、今回の困難をどう乗り越えればいいのか、人に相談できればよかったのですが、私にはそれができませんでした。



「家族のことは誰にも話すな。」が小さいときからの母の教えで、たった一度、8歳のときに、親友に、母からきいた愚痴のいくつかを私が漏らし、それがあとにあって明らかになったときには、激昂されてしまいました。


以来、私はひとに自分の家族のこと、悩みに思うことに関して、一切口をつぐんでしまい、夫と付き合って、結婚することになったときですら、ごく僅かな情報しか伝えられませんでした。


「私の母はなにか間違っている気がする。」
「こんな歳にもなって、なぜ私は両親と人間関係が構築できていないのだろう。」



先の見えない、障害のある子供の子育てに迷いを感じる中、私の中で憂鬱さが日に日に増して行きました。

そして、私自身が、娘のあおいの育児をする中でふと感じること……

「娘にリハビリをたくさんさせなければならない」
「障害がもっとよくならなくてはならない」

そういった自分の思いに、“娘をまるで自分の所有物としてみていないか?”“私は私の批判する母とソックリではないのか?”と不安を憶えることもでてきました。




どこかに逃げ場を探した私が、親子関係の本を読み、ネットで似た境遇の人を探す中、思い付いたことは、誰かに助けを求めたい、(心療内科で一度失敗しているにもかかわらず)カウンセリングというものに行きたい、ということでした。


たった1回でいいから、誰かに思いっきり、自分の家族のことを話したい。

夫や友人に話すと、母に咎められるかもしれないけれど、相手がカウンセラーという名前の赤の他人なら、許してほしい。



このときの私は、母が憎らしく思えたかと思えば、ひょっとしてそんなことを思う私のほうが冷たい人間なのではないか……と気持ちが行ったり来たりを繰り返していました。



母と私はどちらがおかしいのか。
母がおかしいと思う私は誤りなのか。


誰か審判を下してほしい。


そして今後、私が父とどう接していけばいいか考える前に、まず自分のこれまでの家族関係について整理したい。


こうして、私は、昨年11月、家族関係の相談を主とした、カウンセラーに初めて会うことになったのです。


(後編に続きます。)
2017-04-15(Sat)

心療内科に行ってみよう

今回、娘の育児と直接関係のない、母親の私のメンタルに関連する、ダラダラとした長いお話…

主には、心療内科なるものにはじめて行って、そして、それっきり2度と行っていない…というお話です。


*********

娘のあおいとの在宅生活がはじまって数か月の頃、度々、強い自己否定感、憂鬱な気持ちに支配されることがありました。

さらに、あるときから、耳の下あたりが、かなり痛くなって、ごはんもなかなか食べられない…という症状があらわれました。

病院に行ってみると、“顎関節症”と診断され、大病ではなくホッとしたものの、原因については、“子供を抱っこしたり、リハビリしている間に顎に力が入ってしまうか、ストレスで日ごろ無意識に歯を食いしばっているか…が影響しているのでは”と、いわれました。


幸い、顎関節症は、しばらく柔らかいものしか食べなかったり、鎮痛効果のある塗り薬をぬったりで、程なくして良くなっていきました。

しかし、このとき、診てもらった歯科医の先生が仰った、「症状が改善されない場合、心療内科に掛かる方もおられます。」という一言に、私はピーンと反応。

「心療内科ってよくきくけど、どんなところなんだろう。もしかして、そこに行ってみれば、悩みとか暗い気持ちが一気に吹き飛ぶのかも…。」なーんて、よく調べもせずに、ふと、思い立ったのです。

(我ながらあきれる他力本願のマインドである…。)


**********

まずは近隣にある心療内科をネットで検索し、ホームページをみながら、土曜日も診療しているところ、診察料についての説明が載せられているクリニックを探しました。


そして、パパに、「最近なかなか眠れないし、気疲れするから、1回、心療内科ってところに行ってみたい。その間だけあおいのことをお願いしたい。」と相談しました。パパも、この頃私が、激しく落ち込んだり、苛々したりする様子を間近でみて知っていたので、快諾してくれました。


行ってみると…。
土曜日を選んだからか、なかなか混んでいます。待合室はいっぱい。来ている方の年代層は、幅広くバラバラで、私よりも若い20代の方もいれば、お年寄りの方もおられました。

こんな書き方は大変失礼かもしれませんが、みなさん、いたって“普通”の人たちにみえました。極端に元気がなさそう、という感じの方は、お見掛けしなかったのです。

まずは、問診票のようなものに、色々記入。普通の問診票と異なって、家族構成や経歴のようなもの…自分のバックグラウンドについて書く場所がありました。悩んでいることについても、簡単に記入するスペースがありました。


すると、まず名前をよばれ、先生の診察の前に、臨床心理士の方(女性)と面談をすることに…。


まずはその心理士の方から、
私が今まで住んでいた地域(引っ越し歴など)のこと、職歴などについてきかれました。また次に、「どんなことで今日は来られましたか」と、改めてきかれました。


私は、

・重度の障害のある子供の子育てをしていて心身ともに疲れがちなこと
・最近、顎関節症になり、自分でも意識をしていないうちに気張ってしまうことがあること
・すごく疲れているにもかかわらず、寝る前にあれこれ考えて、寝れなかったり、眠りが浅いこと


など…をお話しました。

心理士の方は、医師の診察に必要なヒアリングのみを事前に行う、というだけで、具体的に私と悩みについて話をする、ということはありませんでした。

面談が終わると、一旦待合室に戻されました。



そのあと、ようやく、医師の診察室へ…。

先生は思ったよりも若く、30代半ば位にみえました。ハキハキした明るい、爽やかそうな男性です。


「心療内科に来るのは初めてなんですけど、自分の子供に障害があって、最近ストレスを感じていて、色々ご相談できないかと思ってきてみたんですけど…」

と、私はおずおず話し始めました。


先生は、先程心理士の方が書かれたと思われる記録をみつつ、「大変ですね。」と仰り、娘の月齢や病名などについて私に質問されました。

私は、「娘は脳性麻痺なんだけど、全く同じ症状の子供もいないから、成長の見通しが分からないし、将来のビジョンが全く描けなくて不安。」…と胸の内を語り、さらに、


「最近一番困っているのは寝れなかったり、眠ってもすぐ目が覚めてしまったり…とかですかね。まあ、隣に酸素モニタとか付けた子供がいて爆睡するのもなんなんですけど…。もともと私あまり睡眠に関して、寝つきがいい方ではないみたいで…。例えば、電車とか新幹線の移動中に、寝れる人と寝れない人がいると思うんですけど、私はどっちかっていうと寝れないタイプの方なんですよね…。」


などと話をすすめました。

すると先生は、
「えー。そうなんですか。僕は電車の中とか全然寝れるなあ。寝れないのは神経が細いのかなあ。」と仰っいました。

それに思わず、
(ええっ!?ここは寝れないタイプの人の心に寄り添って、アドバイスとかくれるところじゃないのか…?)などと思ってしまう私…。


そして、今度は、娘の育児や介護の中でどういったところが具体的に大変なのかを、先生に伝え始めました。

そして最後には、

「訪問看護士さんだったり、病院だったり、もっと人を頼るべきではないか、頼りたい、という気持ちがあるのに、頼れないんです。それどころか、自分以外の人にみてもらって娘が悪くなったら、なんて余計に不安に思うこともあって…。それにそういう弱音をまわりに全くいえないんです。」と思いを言葉にしました。

先生は、真剣な表情で話をきいてくださいました。その眼差しには心からの同情の気持ちが溢れていたように思います。


「すごく大変なんですね。僕になにができるでしょうか。なにかできることはあるんでしょうか。」

(ええっ!?ここでこういうストレスを軽減する措置とかについて、先生の方からなにか提案をしてくれるんじゃないのか…。)

(できることはあるか…って。だったら、貰えるもんだけ貰って帰ろ…。)


「…とりあえず、全然眠れないときのお守りに睡眠薬いただいてもいいですか?」



これで診察は終わりになりました。



お会計に向かうと、診察料は3,000円でした。

“怪しいところでぼったくりには遭いたくない”と、事前に料金についてだけは調べていたので、値段については分かっていたけど、今の遣り取りが3,000円…!

(ええっ!?これだったら、どっかで美味しいものでも食べるとか、フツーに友達に会ったりした方がよっぽどストレス解消になったんじゃ…)

などと後悔しながら、家路につくことになったのです…。



*********


それからあとになって、“心療内科”がどういう場所なのか、改めてあれこれ調べました。

(ここを事前にきちんと調べておくべきですよね、私のアホ。)

そして、

・心療内科は、心の病気がきっかけで体に症状が出た場合、それを治療するところ
・どちらかというと心療内科は、心の病気自体よりも、それに付随してでてきた体の病気をなおすことがメイン
・うつなどの心の症状や相談は、むしろ精神科の分野



ということが分かってきました。



「なるほど、心療内科、っていうくらいだから、基本は体の方をみる内科というわけね。」

「不眠とか顎関節症とか……体にも症状といえるものはあったけど、私が求めていたようなのは精神科の方だったかも。それであの先生も、自分からできることがない、というようなトーンだったのか。」


と妙に納得してしまいました。


私は、「全くの第3者に悩みをきいてもらう」「その悩みについてよくなるアドバイスをもらう」…などということをイメージしていたのです。


もしかしたら、私が求めたような診療内容を提供されている心療内科もあるのかもしれません。”精神科という名前がヘビーに思われ敬遠されがちなため、精神科でも心療内科という名称にしているお医者さんもある”、”2つの科の診察の境界線は曖昧である”…というようなお話もあるみたいです。

私が結局掛かったのはこの1度きり、未だに“心療内科のなんたるや”、については、記事を書いておいてなんですが、きちんと理解しておりません…。


***********


けれど、あとになってから、このときの出来事を振り返って強く思うこと…。

“私が最も悩んでいたこと”は決して“娘の育児”“娘のケア”ではなかったのです。

もちろん娘のことでも大いに悩んでいましたし、今でもそれは変わっていません。

ですが、この頃、私はもっと、“自分自身のこと”に悩んで憂鬱な気持ちになっていたのだ…と後になってからそれを認めることになりました。


湧き上がる強い自己否定感…。

「今の自分の人生に価値を見出せない。」
「まわりの人に比べて自分には価値がないかもしれない。」


…といった気持ちにも大きく悩まされていたはずなのに、恥ずかしさから、そういった思いについては、悩みを相談したいと意気揚々と出かけた心療内科にでさえ、打ち明けることができませんでした。


強いて娘とのかかわりの中でいうならば、

「もっと頑張って娘の障害をよくしなければならないのではないか。」
「のんびり過ごそうとするとこれではいけない、という思いに襲われる。」


…などといった強迫観念めいたものに追いやられ、苛立ってしまうことが度々あったにもかかわらず、これについても、「怖い母親」「おかしな母親」などと思われるのが怖くて、友達にも、誰にも、相談できませんでした。


診察の終わり近くでようやく出てきた、
「もっと人を頼りたいが頼れない。」という言葉。

この部分だけが、私の心の奥底からでてきた本音であり、今思うと、これは娘を産む前から、自分がずっと抱えてきた問題のようにも思えます。


もちろん、こういった気持ちの数々は、障害のある子供を抱えたお母さんたちが、気の抜けない育児生活を送る中で、私に限らずとも、ふとしたときに抱えてしまいがちな思いなのかもしれません…。


けれど、私はこのとき、“自分自身のこと”に止まらない、あるひとつの、明らかに一番大きな悩みを抱えており、そのことが、自分の気持ちを鬱へと追いやっていることは明らかでした。


ずいぶんな後出しになってしまいますが、私はこのとき自分の両親との関係で、問題を抱えていたのです。(そして、それについては、夫にでさえ口にすることができない状態でした。)


「私が本当に一番悩んでいるのは、娘の育児のことではない。」「見て見ぬフリをしている問題に向かわなければならない。」


私がそのことをようやく認めて動き出せたのは、この心療内科に行った、約4か月後のことでした。


次回、「私自身の問題を教えてくれた、神経症療法の本との出会い」に続けたい…予定です。


********

※この“メンタルヘルス”のカテゴリ、ゆくゆくは、育児の中でのストレス軽減策とか、そういうものを書いていきたいなあ…と思っていますが、多分あと何回か、タラタラとした母の話が続きそうです。


読んでくださっている寛大な方がいらっしゃるか分かりませんが、次回また間をあけて、更新させていただきたいと思っています。

2017-03-25(Sat)

もしかして私、“うつ病”ですか? 「メランコリア」をぶっ飛ばせ!

娘と在宅生活をはじめて3か月程経ったころ、ふと、夕方になると、どっと身体が疲れ、気持ちが一気に沈み込む…というシーズンがありました。「後ろを振り返らず、前を向いて頑張る」と決めたのに情けない限り…。


「私、毎日こんな子供の世話だけにいっぱいいっぱいで、人生これでいいのかな?」
「なんだか娘を毎日リハビリさせないと、という強迫観念に追いやられているような気がする。」
「まわりをみると、健常なお子さん3人産んで、フルタイムで働いているような人もいる。私は何一つできない無価値な人間なのではないか。」



そんな思いが次々と浮かんでいき、身体がものすごく重くて、コップ1杯の水を汲もうにも、立ち上がれない。
そのときハッと思いました。

「あれ? これって、もしかして、うつ状態、とか、うつ病なんじゃないの、私?!」

うつ病って一体何なのでしょう?…。「うつ」と自覚すれば「うつ病」なのか。それとも認識していなくても「うつ状態」の人間は数多く存在しているのか。

そういえば…。
以前、私が会社を辞めてしまって、次の仕事を探すまでの間、「メランコリア」という1本の映画をDVDで観たのです。


作品の監督はラース・フォン・トリアーというヨーロッパの人で、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」などを撮った、カンヌ映画祭で賞もとっている人なのですが、どちらかというと、ちょっと重めの、尖った作品の多い監督。正直、以前はあんまり好きじゃありませんでした。


この「メランコリア」という作品は、2人の対照的な姉妹が主人公になっていて、その物語は2部構成でキッパリ分けられています。そして、明らかに、“うつ病”をテーマとした作品なのです…!


メランコリア

「メランコリア」販売元:ジェネオン・ユニバーサル
(C)2011 Zentropa Entertainments27 ApS


ここで簡単に「メランコリア」のストーリー紹介。

******************

第1部 ジャスティン(妹の方で、うつ病を抱え込んでいる)

第1部では、主人公・ジャスティンの結婚式の様子が描かれます。ジャスティンは若く、イケメンの新郎が隣にいて、式にはたくさんの友人や同僚が来てくれているというのに、そんな祝いの席の中でも、情緒不安定なことこの上ない。(なんでうつ病なのに、結婚式なんかしちゃってるのよ、とツッコミながらみてました。)

ジャスティンの姉のクレアは、大金持ちの夫を伴侶にもつ1児の母(いわば人生の勝ち組)で、ジャスティンと対照的な冷静な性格。姉は妹を必死にサポートしようとするのですが、結局、うつを抱えたジャスティンは、自らの結婚式で、とんでもない奇行に走りまくり、最後には結婚自体を完全にオジャンにしてしまう…というのが第1部。

この姉妹、なんでこんなに性格が違うんだろう。なんで妹の方はうつ病になったんだろう。
そういった理由は確か具体的には何も語られていないのですが、式に登場するジャスティンの両親や同僚が一癖も二癖もある人たちで、彼女の奇行は全く理解できないものの、ジャスティンが「なにかに苦しんでいる」というのは、切に伝わってくるのです。全編とおして何とも憂鬱なパート。途中でDVD止めて放り出そうかとも思う有様でした。



第2部:クレア(姉の方で、1児の母の常識人)

第1部の数日後くらいの時間経過だと思われるのですが、ここで、イキナリ話がぶっ飛んできて、なんと、「もうすぐ地球に巨大惑星がぶつかる」という事態に陥っているのです…!作品の舞台も、主人公がこの姉妹なのも第1部と全く同じ…。しかし、ここでなんとも奇妙な大逆転が発生するのです。

第1部であれだけ死んだ魚のような目をしていた、うつ病のジャスティンが急に生き生きとしだし、逆に冷静だったはずのクレアがどんどん狂気に追いやられていく。

ジャスティンからすれば、「失うものもないし、こんな生き辛い世界とオサラバできるわ。」ということなのでしょうか。一方、今まで“人生の成功者”だったクレアには、「今から地球が滅亡します」なんて事実、到底受け入れられず、茫然としてしまいます。この姉妹の精神状態の入れ替わりようが、私には、とても、とても興味深かったのです。

*********************************


ほとんど外出もできず、日中、娘の世話に明け暮れる中、この映画のことをなぜかふと思い出し、私は思いました。

自分は今、ジャスティンの側だろうか。それともクレアの側だろうか…と。

もしこの映画の第2部と同じ状況に自分が置かれたら…。


「もうすぐ巨大惑星がぶつかって地球が滅ぶ?!冗談じゃないわ、私の子供はゆっくりでもこれからもっと成長して、楽しいことたくさん経験するのよ!」

こう思える私は、クレアの側に近いんでしょうか。だとしたら「正常な世界での常識人」…。あらあら、まだまだ大丈夫なんじゃないか、と思ってしまいますね。

でも会社を辞めたあと、この映画をはじめて観たとき、その破滅的でなぜか美しいラストに心が洗われるような気持ちになったのを覚えています。ひょっとして、あのときの方が、病んでたんじゃないか、私。


完璧な精神状態の人なんて、なかなかどこにもいないと思います。この映画の姉妹のように、人間、状況次第で正常にも異常にもなり得るし、「うつ」であるかの境界線は、実はとんでもなく曖昧なのかもしれません。


「メランコリア」を撮ったトリアー監督は、自分自身がうつ病だったときにセラピストと交わした遣り取りから、この作品の着想を得たといいます。

「憂鬱に支配された人々は最悪の状況を常に予想していて、実際に悲惨な事が起こった際には普通の人々よりも冷静に対応できる。」・・・と。


子供が障害を抱えていること…。それは、想像以上にストレスフルで、ときにメンタルが弱ってしまって、ひとり暗い気持ちを抱えてしまう母親はきっと私だけではないはず…。


けれど、そうした経験をしているからこそ、今まで気付けなかったことに気付けたり、他の多くの人が気付けないことに気付いたり…。そんな場面もあるのではないか、と思うときがあります。そして、ほんの些細な事にも人生の深い喜びを見出すことができるのではないかと…。


とはいえ…。この映画のことを思い出して、ひとつ思ったこと。
時々猛烈に心がしんどいときには、「私、しんどい」と言ってみていいような気がします。
この映画のジャスティンにまでなってしまったら、いよいよヤバいかも…!



**********
ここ1年近くの間で、私は、たまに、うつ病や親子関係に関する書籍を読んだり、メンタルクリニックに行ったりしてみたり、なんか色々してました…。その中で得られたこと、障害のある子供を育てる中での私の精神状態の葛藤、また子供を産む前から私自身が人として抱えていた問題…など、この「メンタルヘルス」のカテゴリで、時々語れれば、と思っています。なんかいよいよゴチャゴチャしたブログになってきたなあ。




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原因不明の脳性麻痺の娘・あおいについて綴るブログです。喉頭気管分離オペ・胃ろうオペを受けています。

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