2017-04-30(Sun)

4月から始まった保育活動

娘のあおいは、4月から週1回、保育(療育)施設に通えることになりました。

未就学(0歳~6歳)の、医療ケアが必要なお子さんを集めた支援施設で、基本、母子分離になっています。


大体、流れとしては、

9時~10時:送迎の車がお迎えにくる。(母が同乗、後部座席で吸引など。)
10時~11時:注入物などを用意して、看護師さんに引き継ぎ。
10時~15時:遊びなど色々活動…途中、食事(注入)、昼寝含む。
15時頃:迎えに行く。送迎の車で帰宅。


…という感じです。



保育リュック - コピー

↑最初の日は、どこに登山に行くの?というくらいの大荷物になってしまいましたが、施設にオムツや着替えの予備などを保管スペースに預けさせていただくことができて、次の週には、大分身軽になりました。




介護ヘルパーさん数人と、吸引など色々みてくださる、看護師さんが一人いらっしゃいます。預かり人数は最大5人までだそうで、少人数で、手厚いケアをしてくださっています。



まず、有難いのは、送迎のサービス。

あおいは5分に1回くらい、吸引が必要なことも度々で、これまで、療育施設に通うのに随分難儀してきました。

今の保育施設には車で30分ほど、もうひとつ通いたかったけれど断念した療育施設は車で40分以上…。

いちいち車を停めて吸引していたら、延々と到着しない…EDチューブを抜かれないように抑制したまま、チャイルドシートに乗せると、体位がずれてきて危険…呼吸管理にままならず、とても運転できない…と問題が山積みになっていました。

そんな中の、自宅近くまで迎えに来てくださる、サービス、本当に嬉しいです。




そして、母子分離という点も嬉しいです。

4月はお試し期間で、母も基本付き添い、ケア方法などをお伝えしたりしていました。

“大人数の子供たちと一緒になにかをする”という感じではなく、一人ひとりの個別の遊びがメイン…ときいていて、デイサービスのようなイメージかな、と思っていましたが、年齢の近いお子さんがいると、一緒に遊んだりもできる雰囲気でした。

なにか初めてする遊びのときは、人形を使ったりしながら、まず、ゆっくり見本をみせたり…自宅ではできない、施設の広さを利用した遊びを提案したり……

ヘルパーさんたちが物凄く遊び上手なのに驚いてしまいました。

また、“まず来たら手を洗う”“オムツ替えのときは別室の個室に移動して行う”……など、“手洗い”“トイレ”といった、「習慣」に、ひとつずつ丁寧なコミュニケーションを取り込まれていて、家でも見習っていきたい、と思う点も多々ありました。





先日、はじめてお試しで2時間ほど、私が外出させてもらい、娘ひとりで過ごすことに…。

「吸引が多いし、誰かに任すのが申し訳ない。」
「私がいない間にEDチューブが抜けてしまったらどうしよう。」

ここに来るまで、正直、色々な思いがありましたが、

「誰かにみてもらっていても、自分がみていても、トラブルが起きるときは起きる。それは仕方ないと、きっとこれから割り切っていかなければならない。」

「延々と家で母親といるより、外に出てほかの人と交流できる機会があることは、娘にとって素晴らしいこと。」


とだんだんと前向きな気持ちも湧いてきました。



この施設を紹介してくださったのは、在宅の先生なのですが、ちょうど1年前の在宅が開始になったころ、

「お母さんも、あおいちゃんも、2人ともが、“ほかの人に世話をしてもらう”ということに早いうちから慣れておいてください」

と仰っいました。


去年の今頃は、とてもそんな気持ちになれず、

「長かった病院生活からやっと抜け出せたのだから、とにかく母子2人の生活を満喫したい。」
「私が母親なのだから、私がこの子の世話をしなければならない。」

…などと、息巻いていました。


けれど、母と子、2人っきりの、赤ちゃん生活をいつまでも、いつまでも、送っているわけにはいかない・・・この1年で、私にも新たに思うところが色々でてきたように思います。


「自分が世話をするか」「他人に世話をしてもらうか」の、ゼロか100ではなく、必要なところでで、人の手を借りながら、“日常”を過ごすこと…

先生の仰っていた言葉の意味が、今になって、私にも分かってきました。


感謝の気持ちを常に忘れず、かといって卑屈にはならず……援助の手を受けながら、ほかの人と触れ合える貴重な機会を、娘の成長に生かしていけると嬉しいです。


公園お出かけ2017 - コピー

↑施設の写真ではないですが、先日、家族で公園に桜をみにいったときの写真。パパに抱っこしてもらっている2歳9か月のあおい。少しずつでいいから、行動の範囲が広がるといいなあ。



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2017-04-28(Fri)

「まだ人間じゃない」

今回、母の趣味に走った記事です。

私が好きな作家の本に関する、感想・考察…などを書いたものになりますが、その内容が、一部「中絶」に関連したものになっています。

そのことに関する具体的な説明などは一切ないのですが、トピックとして気分を害される方もおられるかもしれないので、閲覧注意、ということをお知らせさせていただきたいと思います。



**********

高校生の頃、私は、フィリップ・K・ディックというSF作家の書いた小説にハマっていました。

映画「ブレードランナー」「トータルリコール」など、ハリウッド大作の原作者としてよく知られている人で、今のアニメや漫画などの多くの作品にも、影響を与えたとされている作家さんです。


表題の「まだ人間じゃない」は、そんなディックが書いた、短編小説なのですが、そのタイトルとともに、強烈なインパクトを、高校生だった頃の私に、のこしました。


この作品の中の未来では、恐ろしいことに、「12歳以下の子供は“人間”として認められず、“中絶”の対象として、生殺与奪を社会や大人に握られている」という世界観になっているのです。


まだ人間じゃない早川書房

↑「まだ人間じゃない」フィリップ・K. ディック (著) 早川書房
何パターンかの文庫本が出版されていますが、私が読んだのは、“ディック傑作集4”と題された、このバージョンのものでした。1974年に出版された作品。




お話としては、短編なので、短いものです。

“12歳以下の子供は堕胎の対象である”という未来の中……“堕胎トラック”なるものが近くに来るたびに怯える少年の姿が、リアルに描かれています。

「こんなのはおかしい。」そう思った少年は、自分の母にその気持ちを訴えますが、母親は、「あなたはもう12歳になったから大丈夫。」と取り合いません。

「12歳以上になると人には魂があるのよ。」と説明する母親に対し、「僕は魂を手に入れたという気分がしない。前と同じだ。」と少年は語ります。


この未来の世界…。
“12歳を過ぎた人間には魂がある”というセオリーが、世間の人々に浸透している……という謎の世界観なのですが、人間であるかどうかを推し量るその基準が、「高等数学」(代数)を理解できるかどうか……になっており、奇抜なようでいて、妙なリアルさが漂うのです。



この堕胎制度に反感を持っている人物も登場します。

「無力なものに対する憎しみだけではない。それ以上のものがからんでいている。」

「母性というものはどこへ行ったのか?小さく、弱く、無防備の者に、並々ならぬ庇護の手を母親が差し伸べたのはいつのことだったろう?」


そこで示されるのは、厳しい競争世界への疑問であったり、私達の今の社会にも通じるような“世代間の対立”についての危惧であったり……印象的な台詞や独白が続きます。


けれど、この短編小説では、そのシステムが最後に打破される…というような起承転結がハッキリとした展開はなく、その未来の生活から抜け出せない人たちの姿が描かれています。


この小説の異様な未来の設定に、当時、私は衝撃を受けました。



*************

折しも、この本を読んでいた、高校生のとき……学校の道徳(のようなもの)の授業で、「中絶」の処置を実際にされたことがあるという女医さんが校内にいらして、そのお話をきく…というなんとも貴重な機会がありました。

学校側の意図としては、「軽々な性交渉に対する危険性の提示」を行いたかったのでしょうが、私はこの話に、耳を塞ぎたくなりました。


「女の方に、全くの非がない状況で、妊娠することだってある。産みたくても育てられない状況の人もいる。それにもしお腹の中の子どもに何か問題があったら…その状況とここにいる全員が無縁だといえるのだろうか。この話を今きくことで何が得られるのか。」

と思い、ひたすら気分を悪くするだけでした。


けれど、この小説は、私がこのとき抱いたようなある種の“倫理観”にすら、鋭い刃をもって向かってきたのです。


「妊娠22週までなら中絶してもよいのか。そこが法律の定義する”命“なのか。命のはじまりとは一体いつからなのか。受精卵からか。それとももっと前か。もし遠い未来では12歳までが中絶可能の範囲内、というのが当たり前の認識になっていたら?今の世で誰も大きく異議を唱えないのと同じように・・・。」



そして、長い年月が経ち、私はのぞんでいた妊娠を経て、出産……知らずとも、娘は重度の障害を抱えていました。
娘の医療事情を考えて、転居することになった際、再びこの本を手に取る機会がありました。そのとき私の中に、ふと恐ろしい思いがよぎったのです。

「もし12歳までが中絶の範囲内という世界ならば、障害児は圧倒的に少ないのだろうか。」


一体、この作家はどんな思いでこの小説を書いたのだろうか…。

高校生のときには、まったく気付かなかった、この作品の、もっとも恐ろしい部分を、はじめて知ったような気がしました。



***********


時々、ネットなどで、障害児の親である私が、思わず目を背けたくなるような厳しい意見を目にすることがあります。

「重度の障害を持った人間は、“生きている”といえるのか?」
「重度の障害者は生きていても、本人も家族も辛いだけだ。」
「重い障害のある人は、国の負担になっている。」


少し前まで、こういった意見に私はただ怒りを感じていましたが、今では時折、「多くの人が口にする“かわいそう”という言葉よりも、“障害”に近くで触れたならではの重みもあるのかもしれない」…と、感じるようにもなりました。

そして、こういった言葉は、時に、障害者の親自身が、子の障害と向き合う中で、一度は去来する思いであるようにも感じます。


けれど…。
娘を産んでからはじめて気づいたことですが、どんな人間も、意外と“障害”とまったく無縁ではないのかもしれない…と思うようにもなりました。

ある日いきなり事故にあって、手足を失うかもしれない。人類の叡智でさえ未だ解明できていない様々な病に自分がいつかかるともわからない。雷にいきなり打たれるような低い、低い確率だと思っていても、いつだって可能性はゼロではない……。

そんなことを考えるようになりました。



そして、この手の話題でよく挙げられる意見……「“こういう人間は生きていてはいけない。”と弱者を切り捨てていったとき、いつの間にか自分が切り捨てられる側になっていないだろうか」…という問いも、本当に、最もだと思いました。


私の娘には重度の障害があり、発声もできませんが、それでも明確に自分の意思を示してみせるようなときがあり、まわりを驚かせたことがあります。

反対に、母親の私…は、健常者であるにもかかわらず、人とコミュニケーションを取るのが下手な人間です。なおそうという気持ちがあっても、他人にどう思われるかを恐れ、自分の殻に閉じこもってしまうような身勝手さが、昔も、今も私の中に強くあるような気がしています。

この1年、実は、娘よりも私の方が、コミュニケーションの点では“障害”を抱えているのではないか?……などと思ったこともありました。


うつ病になって働けなくなった人、お酒を飲んでアルコール中毒になってしまった人、社会とのかかわりを持つことを一切やめた人…。

“障害者”ではなくとも、世を見渡せば、様々な“問題”を抱えた人たちも沢山いるように思います。

なにを“障害”とみなすか。誰を“障害者”とみなすか。その“障害”の度合いで人間の価値を推し量れるのか…。


短編小説、「まだ人間じゃない」は、こういったボーダーラインを安易につけることの怖さ…を示唆しているように思えます。




人間以前早川書房

↑近年、ディックの作品は、表紙カバーを一新して、“よりオシャレな見た目”で本屋さんに置かれています。「まだ人間じゃない」は「人間以前」というタイトルに変わって、こんな表紙に。作中登場する、“未人間”という言葉も印象的です。でもやっぱり旧題の方がインパクトあるなあ。



***************



「まだ人間じゃない」を書いた、ディックの最も有名な作品で、「アンドロイドは電気羊の夢をみるか?」という長編小説があります。


この作品の世界観も少し変わっています。



大気汚染などで、いわゆる自然の動物(犬、猫、牛などすべて)の個体数が激減しており、「なにか動物を飼っていること」が人々のステータス…自分の存在証明のようなもの…になっているという未来。

主人公は、ほんものそっくりの「機械でできた羊」(電気羊)しか持っておらず、高額な、本物の羊を買うお金を得るために、賞金稼ぎの仕事をはじめます。

ターゲットは、人間そっくりのアンドロイドが6体。

見た目も、振舞いも、まったく“人間”と同じ。中には、記憶操作を受けて、自分をアンドロイドと認識していないものまでいる有様……。

主人公がそのアンドロイドたちと対決していく中で、そのうち、
“人間なのにアンドロイドよりもよっぽど情のかけらもない奴”だったり、逆に、“アンドロイドなのに人間よりも情感あふれるような奴”だったり…色んな人・物に出くわしていきます。

そうした中、主人公の精神は次第に混乱していき、「もしかして、俺自身が記憶操作されたアンドロイドではないのか?自分で人間と思い込んでいるだけで?」……という、自身の存在を疑うという、実にスリリングな場面が登場するのです。




この作品でも、「なにかにボーダーラインをつけて、ラインから出たものを抹殺すること」への危惧が示されているようにも思えます。


アンドロイドは電気羊の夢をみるか 早川書房

↑「アンドロイドは電気羊の夢をみるか?」フィリップ・K. ディック (著) 早川書房
映画「ブレードランナー」の原作として知られる、ディックの代表作。1977年に出版された作品。タイトルからは尖った印象を受けられるかもしれませんが、ディック作品は、(個人的に)SF小説の中で最も読みやすい…ような気がします。




著者のフィリップ・K・ディックは、生前には今のような評価を得られず、人生の大半が生活苦のまま、53歳で亡くなっています。著作が映画化されたのもすべて彼の死後でした。

双子の妹が生後わずかで亡くなっていることが、彼の死生観に大きな影響を与えたともいわれており、その人生は薬物乱用との戦いだったと記録されています。

ディックの作品でしばしばみられる「現実世界への強い疑い」は、いつ読んでも、真に迫った、興味深いものであります。

そして度々みられるようなテーマ……


どこかでなにかを犠牲にして社会が上手く回っているようにみえても、自分がマイノリティの側にまわったとき、みえる景色はガラリと変わって見えるのだ…


ということ……私は今になってひしひしと感じています。



*********


「12歳以下の子供はまだ人間じゃない。」「アンドロイドには生命のかけらもない。」

ディックの小説を読みながら、そんなフィクションの世界を否定する私自身も、常日頃から、なにかにつけて、ボーダーラインをひいて、物事をみているような気がします。


「健常児の親と障害児の親」「働いている人、いない人」「自分の話しやすい人、そうでない人」




なにかを区切ることで、自分の気持ちに整理をつけたりすることも出来るのかもしれませんが、その枠組みでしか考えられなくなったとき、自分で自分を生き辛くしてしまうようにも思います。



それは自宅で娘と過ごすようになったこの1年、私が反省してきたことでもあります。


「障害児の親は自分の子の面倒を自分でみなければならない。」「障害のある子はとにかくリハビリしなければならない。」


そうした思いは、私を追い立てて、息苦しくさせてきました。


“私の娘は障害児であるけれど、その前に普通の子供でもある”


そのことを忘れずに、日々の育児を楽しむことができたら、と思っています。





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2017-04-25(Tue)

胃ろうオペの後の安静期間→最初のボタン交換へ

少し間が空いてしまいましたが、また胃ろうに関する記事です。

オペ前後、トータル24日間入院し、その後、10日ほど、自宅にて安静となりました。

・うつ伏せ禁止
・前かがみの座位禁止
・足を高くあげたりして腹圧をかけないこと
・胃ろうチューブを絶対に引っ張られないこと


…といつも以上に目が離せなくなりました。

普段からEDチューブを管理しているため、動きを抑制することには慣れていましたが、目を離す際は、こんな感じで固定していました。


胃ろうオペ後固定2歳7か月
↑部屋がごちゃごちゃしてますが、肘関節を曲げられなくする“スプリント”をつけ、両脇に重しを置いて寝返り防止しています。

胃ろうオペ後固定2歳7か月2

↑就寝時の場面ですが、重しの中身は、10キロ・5キロのお米…。
以前、このむき出しのまま使っていましたが、あおいのキックで袋が破れて米粒がこぼれ出たことがあり、一旦ガムテープで補強、その後、急きょ袋を縫って入れました。




自宅安静の10日間は、病院から帰ってきた疲れもでてきて、家事もほとんどせず、ご飯もパパに買ってきてもらったりして、とにかく極力娘のすぐ傍にいました。


一番大変だったのはお風呂…。
訪問看護さんが来てくれる日は、人手があり安心でしたが、一人で入れるときは、“お腹から飛び出たチューブをいつ抜かれるともわからない”と爆弾処理班のような緊張感…。


胃ろうオペ後のお風呂2歳7か月

↑以前、お義母さんに作ってもらって使い古してしまった“スプリント”を、ひとつお風呂用に卸させてもらい、入浴中もつけることにし、あがったあとで乾かしていました。


この期間、ひとりのときは無理していれず、身体拭きでもよかったかも…。とあとになってから反省もしました。



************


そして、そんなこんなで、ようやく交換の、外科外来の日になりました。

はじめに…
「まず、造影検査をして漏れがないか、みます。そのときにボタン型に交換します。」とのこと、処置室に連れていかれました。

外で待つこと、20分ほど…。泣いた顔のあおいが戻ってきました。


胃ろうボタン部分あおいオペ後

↑こちらがボタン型の胃ろう。とびでたチューブがなくなって、スッキリした印象です。
(写真は交換後1ヶ月のときの腹部。)




その次に、看護師さんの処置室で、“ボタン型胃ろうのケアについて”教わることになりました。

A4用紙4枚くらいの胃ろうに関するマニュアルがいただけました。

このとき教わったのは、まず、固定水の交換。

ヴィクティバルーン胃ろう商品画像

↑あおいの付けているタイプの胃ろうは、胃ろうのバルーン部分に、水(固定水)を入れて膨らませることで、ろう孔から胃ろうが抜けるのを防ぎます。(写真、メーカー様からお借りしました。)

病院から、「あおいの場合、固定水は2ml。1週間に1回交換すること。」とご指示がありました。


胃ろう固定水交換1

↑胃ろうボタンの横部分(バルーンボタン)から水の出し入れができるので、ここにシリンジをセットして、古い水を出し、そのあと新しい水を入れます。



その次に教わったのは、胃ろうへの注入方法。

病院から、“胃ろうボタンに接続するフィーディングチューブ”のセットを1ついただきました。


胃ろうチューブ2種類

↑病院のマニュアル画像を一部お借りしました。こんな感じのセットです。
チューブは、L字型とストレート型の2タイプ入っていて、うちでは、L字型を注入時、ストレート型を胃残チェック時…などと両方使っています。


胃ろう注入チューブセット1

↑チューブの先端をボタン部分のへこみに合わせて、クルッと少しまわしてロック。
簡単そうなのに、私、これが意外と最初、上手くできませんでした。


胃ろうシリンジ注入

↑あおいの場合、胃ろうはお試し注入を少しずつなので、直接シリンジで注入して、流し水を入れるだけ。胃ろうから全注入する人はポンプとつなげたりするのでしょうか。




この看護師さんとの講習、てっきり、「娘の胃ろうに実際注入したり、2時間位かかるのかな?」と勝手に思っていたのですが、紙資料をみながら、20分ほど説明を受けるだけで、想像していたよりも簡素なものでした。



そして、このあと、外科の先生の診察(説明)へ。



************

まず、あらためて一緒に胃ろう部分を確認。


最初のボタン交換後の胃ろう

↑肉芽がしっかりできていましたが、先生から、「交換後、徐々に落ち着いてきます。リンデロンを塗っておいてください。」とのこと。確かにこのときは痛々しい感じでしたが、次第に赤みもひいていきました。


このときに、いくつか先生に質問。↓↓



●ボタン部分の固定についてですが、ガーゼを挟むだけでよいのか、なにもなしがよいのか、それともスポンジなどもっとシッカリしたものを入れるべきか…なにがいいのでしょうか。

→ガーゼだけでよいと思う。今は分泌物が漏れてガーゼにつくかもしれないが、傷口がより落ち着いてくれば、ガーゼも不要。なにもなしでよい。



●オペ後の運動についてですが、うつ伏せは今からしてよいのでしょうか。また日頃、リハビリのため自宅でバランスボールを使ってその上で寝返りしています。これも継続してよいでしょうか。

→うつ伏せは大丈夫ですが、バランスボールは、局所的に刺激が加わり、ろう孔が広がる可能性があるので、うつ伏せ姿勢でやるのはよくないと思われる。どうしてもしたいなら、接地面積をぴったりガードしてください。


●胃ろう漏れが起きる可能性はありますか?

→起きる可能性はあります。
胃ろうのろう孔(穴)部分は、身体が大きくなっても、基本穴部分の大きさは変わらないままなのですが、それでも漏れるときはもれます。漏れた場合、胃ろうのサイズ(今のものが14Fr)をもうワンサイズ大きくするような対処もあります。


●入浴中(お湯に浸かった時)に、胃ろう部分から水が胃に入ってしまうとか、入浴後は必ず胃残を確認した方がいいとかありますでしょうか。

→目に染みる程度で胃にお湯が入ることはあり得ますが、水に浸かることで、多量の水が胃に入ることはありません。むしろ、少し外にでてしまう、ということの方がありえます。


********

こんな感じでお話を伺いつつ、あとは抜けた場合の対応【バルーンが破損してようがしてまいが、とにかく洗って入れなおして、穴が塞がることを避けること】…などについて説明を受けました。

そして、これにて、長かった、最初の胃ろう交換までの日々が終わりました。


しかし…。
これだけ先生にお話を伺っておきながら、1週間後に盛大な胃ろう漏れが起きて、ERに駆け込むことになりました…。

胃ろうのケア、まだまだ勉強中なのですが、今度、胃ろう漏れのときのこと…についても書きたいと思います。



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2017-04-23(Sun)

娘と在宅診療

娘のあおいは、長期入院生活のあとようやく自宅での生活に入り、在宅診療(訪問診療)を受けています。

今回は、
・今どんな医療サポートを受けているのか
・どういうプロセスで在宅診療を受けることになったか
・在宅診療に助けられてること

…などについて書きたいと思います。


まず、今受けている医療サポートはこんな感じになっています。


在宅診療図




トラブルがあったとき…
体調を崩した時、発作など神経系の治療については、専門病院へ。
胃ろうや分離オペ部分、EDチューブなどでトラブルがあった場合は、総合病院のERに行って、基本外科の先生にみていただいています。

療育病院へも、リハビリに通いながら定期診察を受診。3歳になると、ショートステイやレスパイトの対象になるらしく、今後試すか、検討していきたいと思っています。

そして、在宅の先生は、2週間に1回、訪問診察をしてくださっていて、そのおかげで、病院自体に行く回数が少なくて済んでいます。




では、どういうプロセスで、在宅診療を受けられることになったのか。


正直、私は本当に無知なもので、世に「在宅診療」なるものが存在していることも、知りませんでした。

450日も専門病院に入院していて、やっと退院指導がはじまったとき、
「体調崩したらどうしたらいいの?」「外来で何度も先生に会えるんだよね?」と不安が募ってきました。

私たちがお世話になった専門病院では、ソーシャルワーカーさんではなく、病院におられる保健師さんが、訪問看護さんなどに連絡をとってくださり、在宅開始のパイプラインになってくださいました。

そしてその保健師さんから、
「基本一度退院したら、そのあとは、地域医の先生、在宅の先生にみてもらうことになります。」
というお言葉が…。

「それって地元の小児科ってこと?娘みたいな重度の障害のある子をみてもらえるのかな?」と、このときとても心配でした。

そして、その保健師さんが、私たちの住んでいる地域で、在宅診療をされている医院を2つ教えて下さいました。

その中の1つの小児科さんのHPを拝見していると、「娘のような重度の障害の子達を昔から沢山みている」…と、いう実績がうかがえ、ぜひその医院にみていただきたい、と希望を出すことに…。

専門病院の先生が、「多分断られないと思いますが。」と、紹介状とお手紙を用意してくださいました。

その後、改めて診療の承諾が先方からいただけることになり、退院前のカンファレンスでは、在宅診療の先生が娘を一度みにきてくださいました。そして、退院した後、家にいながらにして、診療を受けることが出来るようになったのです。





では、この在宅診療の、なにがとてもよかったのか。



1つ目は、言わずもがな、病院に行かなくても、先生の診療を受けられることです。

あおいは、月2回、カニューレ交換が必要なのですが、そのタイミングできてくださいます。
別段、体調が悪くなくても、定期的に、医師に、気になったことを気軽に相談することができるのはすごく大きいです。

(注入物をかえたい、増やしたい/吸引物が少し硬い/湿疹が出ているけど何を塗ればいいか…など)


在宅診療は1回につき、大体30分ほど。
あおいを診て下さっている小児科さんには、複数お医者さんがいらして、たまに来られる先生が代わったり、色んな先生から情報を訊けるのも有難く、医療ケアや物品のことなどもたまに相談させていただいています。


2つ目は、上記のような診療に加え、予防接種を自宅でしてくださることです。

これには最初大変驚きました。
娘のように吸引や経管栄養のある子供は、なかなか病院に行くのも一苦労、感染症の流行時期に、長い時間待つとなれば、母子ともにけっこうな負担になってしまいます。

自宅にいながら予防接種を受けられること…とても感謝しています。



3つ目は、必要なお薬(それに加えて医療用物品まで)を、先生が、地元の薬剤師さんに処方箋をFAXしてくださり、それを薬剤師さんが自宅まで届けてくれる…ということです。

こういったサービスも、在宅の先生の采配で受けることができるようになりました。

以前住んでいた地域で、NICUから退院してからの1ヶ月のあいだ、在宅生活を送った際には、病院で多量の医療物品を受けとり、その後は、薬局に並んで薬を受け取り、その薬を1日分ずつ自分でホッチキスでとめて小分けして……という作業に、とても時間がかかってしまい、負担になってしまっていました。

今は、薬もほとんど1袋に一包化されていて、すごくスムーズに、投薬することができています。


そして4つ目、最後には…
在宅の先生が、ほかの医療機関とも連携をとってくださること…にとても助けられています。

療育病院もそのひとつですし、同じく訪問診察をしてくださっている地元の歯科の先生に紹介状を書いてくださったり…。
今の地域の医療の情報についてもアドバイスをいただけたりしています。

また体調を崩して、総合病院や専門病院に行く際も、診療情報を先方に送ってくださることがあり、“普段から定期的にみてくださっている在宅の先生”からの情報があることで、話がスムーズにすすむこともありました。





在宅の先生の存在…。

私達家族は、最初にあおいが産まれた地域から、引っ越して、今の医療サポートを受けられている…という事情があります。
最初にあおいの病名が分からなかったこと、そしてひとつの縁のようなもので専門病院に転院できたこと、今の在宅の先生の存在を知れたこと…。

在宅診療は、前にいた地域では受けられなかったサポートですが、ある意味、以前いた地域の医療事情とたたかうことから逃げてきた、ともいえるのかもしれません。


在宅診療が、全国的にどのくらい普及しているのか、医院によってどれほどサービスが異なるのかわかりませんが、今受けられている恩恵に日々感謝しながら、最大限利用していきたいと思っています。



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2017-04-22(Sat)

セルフ吸引のススメ

先日、在宅の先生から、

「あおいちゃんに、もっと自分のことを自分でケアできるようになってもらえるといいね。吸引も教えると、自分でできるようになるかもしれない。」

とアドバイスいただきました。


以前も、看護師さんから、「自分で自分の吸引をする子がいるのよ。あおいちゃんもできるようになるかも。」と仰っていただいたことがあり、たまに、吸引チューブを渡して、口の中に持っていくように促したりしていました。


セルフ吸引するあおい2歳8か月

↑「お口のいらないの、自分でないないしてね。」と声をかけて、チューブを渡すと、こんな感じで自分で持っていって、吸うことも…。吸い終わったかな、という頃には、「もうおしまい?」「ママにどうぞして。」などと声をかけて、チューブを返してもらいます。

口から痰がゴボっと溢れているときや、嘔吐しているときは、あおいも気持ち悪くて自分で吸うどころではありません。ツバがそこそこ溜まっていて、上手く吸ってくれそうなタイミングをはかって渡します。



在宅の先生からは…
これまで吸引機のホースの先につけていた、ジョイント部分が尖っていて危ないので、あおいに吸引を促す場合は、もっと柔らかいコネクタを使った方がよい、とご指示がありました。


硬いジョイント②

↑今まで使っていたジョイント部分。名称不明ですが、200円と安価で、これをこのまま口の吸引にも使えたりして重宝していました。




硬いジョイント

↑プラスチック製で、吸引カテーテルも接続することができます。



先日、先生がお薦めしてくださった「柔らかいコネクタ」の方を新たに購入。
以前、ガラス製の“吸引用オリーブ管”というものを試したことがあったのですが、“丸い先端で一気に鼻を吸われる”という感覚が、あおいにはあまり快くなかったらしく、使わずにおりました。


オリーブ管

↑こちらが以前試した、ガラス製のオリーブ管。


今回購入したコネクタは、以前試したオリーブ管のように、先が丸まっておらず、もっと使いやすいものでした。



柔らかいジョイント②

↑“透明シリコンオリーブ管みえーる”という名称。1,770円で在宅の先生から購入。Amazonでも売っています。



確かにこれだと、あおいが自分で口や鼻に持って行っても、柔らかいし、気軽に渡すことができそうです。

ただ、1個だけ欠点がありました。


柔らかいジョイント③

↑こちらにも吸引カテーテルを接続できたのですが、接合部分が柔らかいからか、吸引の圧力が少し逃げてしまいます。



あおいに渡すときだけ、ジョイント部分を交換するのも面倒ですし、この“みえーる”を利用しつつ、吸引圧を調整したり、気管内をガッツリ吸引しなければならないときだけ、プラ製のものにつけかえたりしようかなあ、と思っています。


また、先生から、さらに「吸引機を親しみやすいものにするために、可愛くデコすればいいのよ。」と素敵なアイデアが♡




吸引機加工

↑センスがないので、統一感がなくなってしまいましたが、色々シールを貼ったりして、賑やかに。ホース部分にはラメのシールを貼っていましたが、洗うと剥がれてきて、なしにしました。

保育にも通うことになり、ほかのお子さんの吸引機と間違えないよう、名前も書けて(加工部分)、丁度いい感じです。
(写真は、パワースマイルキュートという、主に外出用に使っている軽量の吸引機です。)




セルフ吸引…。
最初は、「教えてしまうと、余計に自分のツバを飲まなくなって、嚥下状態が一向に改善しないかもしれない。」とも思いました。

あおいは、「嚥下障害について、改善の見込みは、ほぼ絶望的。」…とこれまでに複数のお医者さんからいわれていますし、「この訓練に使う時間を他のことに充てた方がよいかもしれない。」とこれまでに何度も迷ってきました。


凍らせたジュースを綿棒につけて渡したり、顔のマッサージだったり、簡単なものですが、“食事の雰囲気を楽しむ時間”“それに伴って嚥下訓練を行う時間”もこれまで同様、確保していきたいと思っています。


けれど、あおいの吸引の回数が本当に多いのは確かですし、現実的に先のことも考えて、今から少しずつ、“自分のケア”について教えていく…というのも、あおいにとっては、アリなのかもしれない…と思いました。




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2017-04-19(Wed)

“マックハウス”にお世話になったときのこと

娘のあおいが、専門病院に長期入院していた頃、「ドナルド・マクドナルド・ハウス」(マックハウス)という、チャリティーで運営されている宿泊施設に、3週間滞在させていただいたことがありました。


専門病院に転院して間もない頃(娘が6か月の頃)、私は母乳を搾ることに躍起になっていました。そのため、搾乳に一日の多くの時間をとられてしまっていた上、自宅から病院まで1時間半以上かかってしまうため、なにかと慌ただしく過ごしていたのです。

(母乳を搾ることに必要以上にこだわってしまっていたことには、今となっては後悔の気持ちもあります。)


そんな中、同じ病室にいらっしゃったママさんが、「近くにマックハウスというところがあるよ。」と教えてくれました。


マックハウスとは…
ファーストフードで有名なマクドナルド社の協力で運営している滞在施設です。お家から病院が遠く離れていた場合、病気のお子さんとその家族が病院の近くに滞在できるように…と、つくられた宿泊施設だそうで、私はこのとき初めてその存在を知りました。



ドナルドマクドナルドハウス公式ページ 寄付も受け付けられています。




あおいが入院させてもらっていた専門病院のある地域は、いくつかの医療施設が群立している場所だったこともあり、幸運にも、この「マックハウス」が近くにあったのです。

私は、「病院まで行く時間がかかるとはいえ、通える距離だしなあ。私でも滞在オファーしていいのかなあ。」と思いつつ、お電話をかけてみました。


電話口の方が丁寧に応対してくださり、娘の入院している病院名や、入院期間などについて尋ねられました。
「〇日からなら、3週間滞在できますよ。」「搾乳した母乳を保存できる冷蔵庫もあります。」と仰ってくれました。

夏休みや春休みの時期は、全国から、必要な治療を受けるために、家族でハウスに滞在に来られる方が多く、大変混み合うとのことでしたが、私が希望を出したシーズンは、運良く空枠があったようです。

滞在にあたっては、「この子はこの病院にこの期間、確かに入院していますよ。」と証明するための、お医者さんにサインしてもらわなければならない書類があっただけで、手続きは非常に簡単でした。



マックハウスに着くと、ボランティアさんがハウスの説明をしてくださいました。

☆外出時、帰宅時はかならず受付にあるノートに記帳すること。外出時間の制限などはない。
☆宿泊料は1泊1,000円。(正直、病院までの往復の交通費より安い金額でした。)
☆シーツ交換や、ごみの分別、部屋の清掃などは自分で行う。
☆共有のキッチンスペースを自由に使ってよい。コインランドリーもある。

…などなど。


ベッドルームは個室になっていて、ユニットバスもついていました。とても綺麗で明るい雰囲気です。

キッチンスペースには、フライパンや包丁、食器類も揃っていて、自由に使ってよい、とのこと。
加えて、近辺の地図が置いてあり、スーパーやベビー用品を売っているお店をお知らせしてくれているほか、そこに行くために、自転車まで貸し出してくれる…と本当に至れりつくせりでした。


このマックハウスのおかげで、滞在期間中、早朝から娘に会いに行けました。搾りたての母乳を注入することができて嬉しかったです。また娘は、家族のいない間はチューブ抜去防止のため固定具を腕に装着されていなければならないのですが、より長い時間面会することができたおかげで、訓練や遊ぶ時間も増えました。





夜、施設に戻ってくると、共有のキッチンスペースで、ほかのご家族と食事時間が一緒になり、お話する機会もありました。


遠くから来てらっしゃる方が多く、

「ここでしか診てもらえないといわれてやっとの思いで来た。」
「前にいた病院ではできない手術だったのでここへ来た。」
「以前診てもらっていた先生を追いかけてきた。」

…などみなさん様々な事情を抱えられていました。



「ほんの少し前まで元気に歩いていたのに、突然発症した。」…とお子さんのことをお話されていた方もいました。


私は、このとき、NICUから出て新たな病院に来たばかり…お恥ずかしながら病気や障害のあるお子さんたちのことをまだよく分かっていませんでした。


勝手に自分の中で、世の母親が、「無事に健常な子供を産めたお母さん」と「障害のある子供を産んでしまったお母さん」の2つに分かれていて、自分が後者の方であったことに、惨めで恨みがましい思いを抱いていました。


けれど、このマックハウスや専門病院で色々なお子さん、親御さんとお会いするうちに、“障害”“病気”にも本当に色々なものがあって、みなさん抱えている苦悩がそれぞれあること…それぞれのご家族の困難に思いを馳せずにいられませんでした。


そして、原因も治療もよくわからない病気や障害も存在しているのだ…ということを知るたび、“健常者”の自分が、普通に日常を過ごしていることの方に珍しさすら感じるようになりました。実は、“障害者”にはいつでも誰でもなり得るのではないか…そんなようなことを思い浮かべるようになったのは、このときからです。




私の滞在させてもらったハウスでは、最大4週間までの滞在が可能でした。滞在可能期間を過ぎても、お子さんの入院が続いていて、追加で宿泊したい場合は、確か、一旦ハウスを退出してから、また1週間(だったと思います)あけて、再度滞在の手続きをとる…というようになっていました。


ずっと連続で泊まり続けることはできないルールらしく、都内にある複数のマックハウスを行き来しながら、長期入院を乗り越えられているご家族もいらっしゃいました。


またアフラックさん(アフラックペアレンツハウス)でも同じようなハウスを運営されているそうで、そちらと併用して利用されている方もいらっしゃいました。



子供の病気という、ただでさえ、ストレスフルな状況に加え、“遠方から、慣れない土地で過ごす”というのもまた大変なこと…。

病院近くに、家族で泊まれる施設があること…とても、とても有難いことだと思いました。


私の娘にかんしては、結局、入院期間が450日間にも及んでしまい、その後、転居をすることにもなって、利用させていただいたのはこの3週間だけでした。けれど、この期間、精神面でも色々助けられたような気がして、今も感謝の気持ちでいっぱいです。




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2017-04-17(Mon)

おばあちゃんの手作りスプリント

今回は、日頃、私が娘と過ごす中で大変重宝しているアイテム…“スプリント”について書きたいと思います。

スプリントとは…


スプリントとあおい
↑こんな感じの、腕につける、筒状のものです。筒片面の中身には“硬い木のようなもの”が入っていて、肘関節を曲げられなくなります。そのため、指で顔(鼻部分)を触ることができなくなります。



娘のあおいには、EDチューブという、抜去されてはならない、経腸栄養の管が鼻から入っています。そのため、少し目を離すときに、これをつけると、“チューブを指で引っこ抜かれる”…ということが避けられるのです。


このスプリント、以前いた専門病院でその存在を教えていただき、病院のものを試し付けさせてもらったりしながら、在宅に入るときに購入しました。


既製品スプリント3

↑Pedi‐Wrapというアメリカ?のメーカーのもので、ネットで購入できました。1セット約8,000円と高額なのですが、うちの場合、もう毎日使う必須アイテムになってしまっています。
サイズは4種類あって、左のものが23cmのMサイズ、右の方が28cmのLサイズ。
Lサイズで一応3歳までになっていますが、太さと長さがうまく合わなかったり、微妙なところです。




既製品スプリント1

↑内側には、100均で買ったすべり止めシートを両面テープで貼るなどして、抜けにくいようにしています。



とても重宝していますが、毎日使っていると、マジックの粘着力が落ちてきたり、筒の形状が緩んできたりもしてきました…。


そんな中、お裁縫がとても得意なお義母さんが、以前、お手製のスプリントをあおいのために作ってくれたのです。



手作りスプリント③

↑複数つくってくれました。しかもとてもかわいいデザイン。ミシンで縫ったそうですが、スゴイです…!



手作りスプリント②

↑しかも、きちんと内側に“硬い木のようなもの”が入っていました。有難い…!


「何を入れたんだろう?カマボコの板?」などと思って、お義母さんにきいてみると、
「ホームセンターなどで売っている、厚いゴム板のようなものを2枚重ねて入れた」とのことでした。

木材だとカットできないけど、ホームセンターの素材だと、自宅の大きいハサミで切れるから大きさ調整ができる…とのことでした。


スプリント…。
あおいの成長とともに、腕の力が強くなり、とめていても、思いっきり腕を曲げられて、マジック部分が剥がれたり…。
またブンブン腕を振って、その振動でスプリントを腕から少しずつずらされて、引っこ抜かれたり…。


以前までは少しつけておくと数分目を離せたのに、どんどんその時間が短くなってきました。


おばあちゃんが作ってくれたものは、軽量なので、主に外出時などに使わせてもらい、夜中寝るときは既製品のものをがっちりめに付けています。


本当は付けない方が本人の成長のためには一番なのですが、寝るときにはどうしてもかなりきっちり付けておかなければなりません…。


“引っこ抜くとダメ”というのがそのうち分かってもらえると一番だなあと思いつつ、まだまだお世話になりそうです。



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2017-04-15(Sat)

心療内科に行ってみよう

今回、娘の育児と直接関係のない、母親の私のメンタルに関連する、ダラダラとした長いお話…

主には、心療内科なるものにはじめて行って、そして、それっきり2度と行っていない…というお話です。


*********

娘のあおいとの在宅生活がはじまって数か月の頃、度々、強い自己否定感、憂鬱な気持ちに支配されることがありました。

さらに、あるときから、耳の下あたりが、かなり痛くなって、ごはんもなかなか食べられない…という症状があらわれました。

病院に行ってみると、“顎関節症”と診断され、大病ではなくホッとしたものの、原因については、“子供を抱っこしたり、リハビリしている間に顎に力が入ってしまうか、ストレスで日ごろ無意識に歯を食いしばっているか…が影響しているのでは”と、いわれました。


幸い、顎関節症は、しばらく柔らかいものしか食べなかったり、鎮痛効果のある塗り薬をぬったりで、程なくして良くなっていきました。

しかし、このとき、診てもらった歯科医の先生が仰った、「症状が改善されない場合、心療内科に掛かる方もおられます。」という一言に、私はピーンと反応。

「心療内科ってよくきくけど、どんなところなんだろう。もしかして、そこに行ってみれば、悩みとか暗い気持ちが一気に吹き飛ぶのかも…。」なーんて、よく調べもせずに、ふと、思い立ったのです。

(我ながらあきれる他力本願のマインドである…。)


**********

まずは近隣にある心療内科をネットで検索し、ホームページをみながら、土曜日も診療しているところ、診察料についての説明が載せられているクリニックを探しました。


そして、パパに、「最近なかなか眠れないし、気疲れするから、1回、心療内科ってところに行ってみたい。その間だけあおいのことをお願いしたい。」と相談しました。パパも、この頃私が、激しく落ち込んだり、苛々したりする様子を間近でみて知っていたので、快諾してくれました。


行ってみると…。
土曜日を選んだからか、なかなか混んでいます。待合室はいっぱい。来ている方の年代層は、幅広くバラバラで、私よりも若い20代の方もいれば、お年寄りの方もおられました。

こんな書き方は大変失礼かもしれませんが、みなさん、いたって“普通”の人たちにみえました。極端に元気がなさそう、という感じの方は、お見掛けしなかったのです。

まずは、問診票のようなものに、色々記入。普通の問診票と異なって、家族構成や経歴のようなもの…自分のバックグラウンドについて書く場所がありました。悩んでいることについても、簡単に記入するスペースがありました。


すると、まず名前をよばれ、先生の診察の前に、臨床心理士の方(女性)と面談をすることに…。


まずはその心理士の方から、
私が今まで住んでいた地域(引っ越し歴など)のこと、職歴などについてきかれました。また次に、「どんなことで今日は来られましたか」と、改めてきかれました。


私は、

・重度の障害のある子供の子育てをしていて心身ともに疲れがちなこと
・最近、顎関節症になり、自分でも意識をしていないうちに気張ってしまうことがあること
・すごく疲れているにもかかわらず、寝る前にあれこれ考えて、寝れなかったり、眠りが浅いこと


など…をお話しました。

心理士の方は、医師の診察に必要なヒアリングのみを事前に行う、というだけで、具体的に私と悩みについて話をする、ということはありませんでした。

面談が終わると、一旦待合室に戻されました。



そのあと、ようやく、医師の診察室へ…。

先生は思ったよりも若く、30代半ば位にみえました。ハキハキした明るい、爽やかそうな男性です。


「心療内科に来るのは初めてなんですけど、自分の子供に障害があって、最近ストレスを感じていて、色々ご相談できないかと思ってきてみたんですけど…」

と、私はおずおず話し始めました。


先生は、先程心理士の方が書かれたと思われる記録をみつつ、「大変ですね。」と仰り、娘の月齢や病名などについて私に質問されました。

私は、「娘は脳性麻痺なんだけど、全く同じ症状の子供もいないから、成長の見通しが分からないし、将来のビジョンが全く描けなくて不安。」…と胸の内を語り、さらに、


「最近一番困っているのは寝れなかったり、眠ってもすぐ目が覚めてしまったり…とかですかね。まあ、隣に酸素モニタとか付けた子供がいて爆睡するのもなんなんですけど…。もともと私あまり睡眠に関して、寝つきがいい方ではないみたいで…。例えば、電車とか新幹線の移動中に、寝れる人と寝れない人がいると思うんですけど、私はどっちかっていうと寝れないタイプの方なんですよね…。」


などと話をすすめました。

すると先生は、
「えー。そうなんですか。僕は電車の中とか全然寝れるなあ。寝れないのは神経が細いのかなあ。」と仰っいました。

それに思わず、
(ええっ!?ここは寝れないタイプの人の心に寄り添って、アドバイスとかくれるところじゃないのか…?)などと思ってしまう私…。


そして、今度は、娘の育児や介護の中でどういったところが具体的に大変なのかを、先生に伝え始めました。

そして最後には、

「訪問看護士さんだったり、病院だったり、もっと人を頼るべきではないか、頼りたい、という気持ちがあるのに、頼れないんです。それどころか、自分以外の人にみてもらって娘が悪くなったら、なんて余計に不安に思うこともあって…。それにそういう弱音をまわりに全くいえないんです。」と思いを言葉にしました。

先生は、真剣な表情で話をきいてくださいました。その眼差しには心からの同情の気持ちが溢れていたように思います。


「すごく大変なんですね。僕になにができるでしょうか。なにかできることはあるんでしょうか。」

(ええっ!?ここでこういうストレスを軽減する措置とかについて、先生の方からなにか提案をしてくれるんじゃないのか…。)

(できることはあるか…って。だったら、貰えるもんだけ貰って帰ろ…。)


「…とりあえず、全然眠れないときのお守りに睡眠薬いただいてもいいですか?」



これで診察は終わりになりました。



お会計に向かうと、診察料は3,000円でした。

“怪しいところでぼったくりには遭いたくない”と、事前に料金についてだけは調べていたので、値段については分かっていたけど、今の遣り取りが3,000円…!

(ええっ!?これだったら、どっかで美味しいものでも食べるとか、フツーに友達に会ったりした方がよっぽどストレス解消になったんじゃ…)

などと後悔しながら、家路につくことになったのです…。



*********


それからあとになって、“心療内科”がどういう場所なのか、改めてあれこれ調べました。

(ここを事前にきちんと調べておくべきですよね、私のアホ。)

そして、

・心療内科は、心の病気がきっかけで体に症状が出た場合、それを治療するところ
・どちらかというと心療内科は、心の病気自体よりも、それに付随してでてきた体の病気をなおすことがメイン
・うつなどの心の症状や相談は、むしろ精神科の分野



ということが分かってきました。



「なるほど、心療内科、っていうくらいだから、基本は体の方をみる内科というわけね。」

「不眠とか顎関節症とか……体にも症状といえるものはあったけど、私が求めていたようなのは精神科の方だったかも。それであの先生も、自分からできることがない、というようなトーンだったのか。」


と妙に納得してしまいました。


私は、「全くの第3者に悩みをきいてもらう」「その悩みについてよくなるアドバイスをもらう」…などということをイメージしていたのです。


もしかしたら、私が求めたような診療内容を提供されている心療内科もあるのかもしれません。”精神科という名前がヘビーに思われ敬遠されがちなため、精神科でも心療内科という名称にしているお医者さんもある”、”2つの科の診察の境界線は曖昧である”…というようなお話もあるみたいです。

私が結局掛かったのはこの1度きり、未だに“心療内科のなんたるや”、については、記事を書いておいてなんですが、きちんと理解しておりません…。


***********


けれど、あとになってから、このときの出来事を振り返って強く思うこと…。

“私が最も悩んでいたこと”は決して“娘の育児”“娘のケア”ではなかったのです。

もちろん娘のことでも大いに悩んでいましたし、今でもそれは変わっていません。

ですが、この頃、私はもっと、“自分自身のこと”に悩んで憂鬱な気持ちになっていたのだ…と後になってからそれを認めることになりました。


湧き上がる強い自己否定感…。

「今の自分の人生に価値を見出せない。」
「まわりの人に比べて自分には価値がないかもしれない。」


…といった気持ちにも大きく悩まされていたはずなのに、恥ずかしさから、そういった思いについては、悩みを相談したいと意気揚々と出かけた心療内科にでさえ、打ち明けることができませんでした。


強いて娘とのかかわりの中でいうならば、

「もっと頑張って娘の障害をよくしなければならないのではないか。」
「のんびり過ごそうとするとこれではいけない、という思いに襲われる。」


…などといった強迫観念めいたものに追いやられ、苛立ってしまうことが度々あったにもかかわらず、これについても、「怖い母親」「おかしな母親」などと思われるのが怖くて、友達にも、誰にも、相談できませんでした。


診察の終わり近くでようやく出てきた、
「もっと人を頼りたいが頼れない。」という言葉。

この部分だけが、私の心の奥底からでてきた本音であり、今思うと、これは娘を産む前から、自分がずっと抱えてきた問題のようにも思えます。


もちろん、こういった気持ちの数々は、障害のある子供を抱えたお母さんたちが、気の抜けない育児生活を送る中で、私に限らずとも、ふとしたときに抱えてしまいがちな思いなのかもしれません…。


けれど、私はこのとき、“自分自身のこと”に止まらない、あるひとつの、明らかに一番大きな悩みを抱えており、そのことが、自分の気持ちを鬱へと追いやっていることは明らかでした。


ずいぶんな後出しになってしまいますが、私はこのとき自分の両親との関係で、問題を抱えていたのです。(そして、それについては、夫にでさえ口にすることができない状態でした。)


「私が本当に一番悩んでいるのは、娘の育児のことではない。」「見て見ぬフリをしている問題に向かわなければならない。」


私がそのことをようやく認めて動き出せたのは、この心療内科に行った、約4か月後のことでした。


次回、「私自身の問題を教えてくれた、神経症療法の本との出会い」に続けたい…予定です。


********

※この“メンタルヘルス”のカテゴリ、ゆくゆくは、育児の中でのストレス軽減策とか、そういうものを書いていきたいなあ…と思っていますが、多分あと何回か、タラタラとした母の話が続きそうです。


読んでくださっている寛大な方がいらっしゃるか分かりませんが、次回また間をあけて、更新させていただきたいと思っています。

2017-04-14(Fri)

胃ろうオペ後、病院で私が覚えなければならなかったこと

前回書いた、胃ろうオペの入院のときの流れ、に続きまして、「オペのあとに病院で私が覚えなければならなかったこと」を4つ、すごく簡単にですが、書いていきたいと思います。


*********


その1は、胃ろう部分の固定方法です。

胃ろう部分固定なし

↑なにもない、胃ろう部分のみだと、こんな感じ。

胃ろう固定完了

↑固定するとこんな感じ。


固定方法といっても要は…
ガーゼを挟む→テープでとめる→俵(のような形に丸めたガーゼ)で固定する→さらにテープを貼って固定していく…というだけの作業でした。

でも、やってみると、結構メンドクサイし、あおいが動いたりするので、抑制して、集中して行わなければなりませんでした。

しかも、「ボタン型の胃ろうに変わったら必要ないこと」なので、覚えるといっても、数週間で忘れていいんです…。


胃ろうマニュアル

↑最初に看護師さんが固定してくれた時の様子を写真で撮らせてもらい、忘れっぽい自分用に、退院前に手順のマニュアルみたいなものをつくっておいたんですが、「ずっと覚えとかなくていいやつだしなあ。」と、かなり見ずらいもののままになってしまいました。



**********

その2は、胃ろう部分の洗浄方法、洗い方です。


胃ろう円の部分

胃ろうの丸い円の部分の下…傷跡の部分ですが、私は、

「触ったらアカン。とにかく触らんようにしよう。」と思っていました。

しかし、看護師さんと身体拭きやシャワーをすることになった中で、

「ここがジクジクして、バイキンが入るとダメ。この丸いところを少し浮かせてこの下にまで、石鹸をつけて、しっかり洗って、水で流してくださいね。そのあとは拭いて乾燥させてからガーゼを挟むこと。」

とご指導がありました。


この丸い円の部分がほんの少しでも浮き上がってくるとダメ…と思っていたので、抜けないように最大限注意しつつ、傷部分もきれいにする…というのが、退院後も結構注意を払わなければなりませんでした。



*********

その3は胃ろうへの注入方法です。


あおいは、“EDチューブをのこしたまま退院。胃ろう注入は試す程度”だったので、注入方法については、他の親御さんより、ごく簡単にしか教わらなかった…気がしております。

これまで入れていた胃チューブの太さのサイズが7Frだったのに対し、胃ろうのチューブの太さは14Frと2倍。

あおいの場合、1時間かけて10ml注入なので、15分おきに小さいシリンジで2.5mlずつ入れていく感じです。


胃ろうチューブのフタをあけるときに空気が入らないようにチューブを折り込んであけること、流し水を流すこと…とごく簡単な指示のみで終わりました。

ボタン型の胃ろうに交換になったあとは、ボタン部分にジョイントする管をつけるという、また異なる注入方法になりました。

*********


その4は、万一胃ろうが抜けてしまったときは…について…

最後は、覚えること…というより、先生からの指示です。

「絶対に抜けてはいけないけれど、万一胃ろうが全部抜けてしまった場合、穴の部分に、いつも使っている吸引用カテーテルを少し差し込んでから病院に来てください。」

という驚きの言葉が…。

抜けてそのままになってしまった場合、せっかく開けた穴が塞がってしまうことがある、そうなると一番困る…とのことでした。

幸い、胃ろうが抜けることも、チューブ部分がずれることもなかったのですが、「穴が塞がらないようにカテーテル」という指示が意外でした。


*********

こんな感じで退院指導を受けてから、自宅に戻り、10日あまり過ごしてから、外来にて、ボタン型の胃ろうに交換してもらいました。

固定水の交換方法、ボタン型になったときの注入方法などについては、外来にて、看護師さんから教えてもらうことになりました。

またそのときのことや、自宅の安静期間で大変だったこと…についても書きたいと思っています。




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2017-04-12(Wed)

胃ろうオペ~入院24日間レポート~

以前、“胃ろうオペを選択するまで”のことを書かせてもらいましたが、今回は、実際オペで入院したときの様子…を書いていきたいと思います。

オペを受けたのは、2017年1月(2歳6か月)のとき。

娘の場合、トータル入院期間は24日間でした。

あおいは、胃の働きが極めて悪いため、EDチューブ(経腸栄養のチューブ)をのこしたまま退院となりましたが、こういうケースはごくごく少数だそうです。

もともと胃チューブのみだったお子さんはもっと短い入院期間なのかもしれませんし、“これまで胃を使ってなかったけれど、胃ろうから完全注入できるようにして、EDチューブをなくして退院する”というお子さんは、もう少し長い入院期間なのかもしれません。


ちょっと長くなってしまいましたが、入院前後の様子、こんな感じでした。



*********


【オペ2日前】

入院。
体重測定をするとジャスト9キロ。(ちょうど1年前、分離オペの時が5キロだったので、大きくなったなあ。)



胃ろうオペ前2歳6か月うつぶせあおい - コピー

↑オペ前、後ろ向きにですが、ずり這いをするようになっていました。(オペ後はしなくなってしまったので、またゆっくり経過をみていきたいと思っています。)安定した体調でオペをむかえることができました。


オペの前に麻酔科の診察を受けました。“なにか気になることは?”ときかれたので、

「麻酔をかけてるときに、てんかん発作が起きたらどうなりますか?」と思わず質問。

(あおいは去年秋に初めて発作があらわれ、それが呼吸困難を伴うタイプの発作だったのです。)

「発作が起きた場合は、点滴から薬をいれる。神経科の先生とも連携がとれるようにしてある。」とお答えいただきました。



【オペ1日前】

絶食に。(経管栄養中止、点滴のみとなる。)

胃チューブからも、EDチューブからも、液を引き続ける、特殊な装置なようなもの?を付けられました。オペのときには、できるだけ、消化器がカラッポで、カラカラの状態の方がオペしやすいらしく、こうするのだと先生が説明してくれました。

前日夜はやはりお腹が空いたからか、落ち着きもなく、全然寝てくれませんでした。



【オペ当日】

オペ時間約2時間。(麻酔準備含めると3時間。)その後ICUへ。
午前11時に病棟出発、12時オペ開始、14時終了連絡、15時面会可能に…という流れでした。


【オペ後4日間ICU】

分離オペのときから約1年ぶりのICU。
初日はほとんど意識がない状態でしたが、2日目から目もあいて、モゾモゾ動こうとしたりしていました。


胃ろうオペ直後2歳半加工
↑オペ直後の2歳6か月のあおい。


鎮痛剤がきいていたのか、あまり泣いたりせず、“ボーっとした元気のない娘”という感じでした。

オペ後の傷跡はここではみれなかったので、どんな風になっているか、分かりませんでした。



【オペ後5日目】

一般病棟へ移動。
はじめてオペ後の腹部をみることに。



胃ろうオペ後腹部加工

↑おへそのあたりにも切ったあとがあります。



有難いことに、私が思っていたよりも、傷跡が小さかったです。

オペ後1ヶ月間は、ボタン型の胃ろうではなく、この、“チューブがにゅっと飛び出たかたちの胃ろう”で過ごさなくてはなりませんでした。

「術後3週間がろう孔が形成される一番重要な時期。絶対に引っ張られないように。」といわれました。ますます目が離せなくなりドキドキ…。



【オペ後7日目】

造影検査にて胃ろう漏れないかチェック(ここで問題なければ、胃ろう注入を少しずつ開始。退院指導も開始する…と事前にきいておりました。)

先生に改めて安静期間と安静の度合いについて訊いてみました。

●安静期間はオペの日から1ヶ月。1ヶ月後にはボタン型に交換するので、それまでは基本安静にしてください。

●うつ伏せはNG。足を高くあげて口でなめるような赤ちゃんがよくするような動作も、腹圧がかかるので好ましくない。座位は点滴が抜けたらOKだが、前かがみになったりすると、胃ろう部分の刺激になるのでよくない…とのこと。キビしかったです。


また胃の内容物をひくためにのこされてた胃チューブが、7日目にして、ようやく、とれました。



【オペ後7日目~21日目】

10日目には点滴が抜け、ジャワ―も可能になりました。恐る恐る縦抱きにしたりしはじめました。
でも基本、ベッドに寝ころんだまま、側臥位状態での遊びしかできず、母子ともに退屈に…。

胃ろう部分固定加工

↑胃ろう部分の固定方法を覚えて帰らなくてはなりませんでした。



そして、胃ろうの注入をほんの少しずつ試させてもらいました。あおいの場合、EDチューブがメインで、1時間かけて10mlを1日3回というごく微量…。それで胃残がないかチェックしていました。

「右半身を下に向けた方が胃から腸にすすみやすい」とのこと、注入中はできるだけその体位にしていました。



【オペ後22日目】

経過良好、在宅の先生の診察日も確認とれたということで、退院に。
退院後も、最初の胃ろう交換まで、自宅で2週間近く、安静にしなければなりませんでした。


************


入院期間はざっとこんな感じだったのですが、1ヶ月の安静期間…かなり長く感じてしまいました。

なんとなく、「胃ろうは比較的簡単な手術」と勝手にイメージしていましたが、呼吸に関した分離オペのケアとは、また違う部分で気をくばらなくてはならず、まだ今もケア方法を色々模索中です…。


今後、退院前に覚えなければならなかったことや、安静期間の過ごし方についても、書いていきたいな、と思っています。




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原因不明の脳性麻痺の娘・あおいについて綴るブログです。喉頭気管分離オペ・胃ろうオペを受けています。

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