FC2ブログ
2018-01-08(Mon)

「重症児の心に迫る授業づくり」

先月読んでいた本がとても心に残ったので、その感想をアップしたいと思います。


重症児の心に迫る授業づくり0108 -

↑「重症児の心に迫る授業づくり」三木裕和・原田文孝・河南勝・白石正久・著 かもがわ出版




この本は兵庫県にて、重度の障害がある子供たちの教育をされてきた、学校の先生たち2人が中心になって、執筆されたものです。


最初に出てきた”1人目”の先生は、重度障害児施設の訪問学級を担当されている先生でした。


受け持っている生徒さんが亡くなられることがあったり、…授業についてお見舞いをしにきたのか分からなくなると心迷われたり…この先生は重度の子供たちの中でも、最重度の子供たちの教育をメインに受け持たれているようでした。




本の中にはこんな一節がでてきます。


「重症児の中でも、笑顔で自分の気持ちを伝えてくれる子供たちや、イエスノーをはっきり意思表示できる子供は、介護するものと子供の気持ちが結びつきやすい。愛されやすい。」


「1番重度とされる子供達はどちらかというと人気がなく、かかわってもらうチャンスに恵まれにくい。反応が弱いために介護するものの気持ちがよそにいきやすい。」





普段なかなか声に出してはいえないけれど、これは、障害児の親である私自身も、長い病院生活の中だったり、色々な場面で、感じてきたであろうこと……


でも、こうやってはっきり言葉にされると、改めて胸に突き刺さってくるものがありました。






この本の先生は、ある日思い立って、「自分たちが普段授業している様子や、病棟から教室に移動する様子などを(隠し撮りのような体で)撮影し、あとから自分たちでその映像を見返す。」ということをされたそうなのですが、そこで、


「認識力の低い最重度の子供達ほど、教員から声をかけてもらっていない」…という事実を目の当たりにし、愕然とされます。





先生はこの事実を厳粛に受け止めた上で、



●子供からの反応の実感がないと、「気持ちが通い合っている」というリアリティーがないからこういうことは起こりがちである。


●介助が多い子供だと、どうしても身体の方に意識が行って、心の方を置き去りにしてしまう。




…と分析もされ、その上で、「どうやって教師は生徒と心を通わせればいいのか」と考えを巡らせます。





介助が多いと子供の心を置き去りにしがち…。

これって医療ケアが必要な子の親にありがちな悩みじゃないかな…とも思ってしまいました。

「絶対無言で吸引しないようにしよう。」「娘が話せなくても私からは必ず声掛けをしよう。」……そんなふうに心に決めていても、ケアをしている自分のしんどさが、何かを上回ってしまい、コミュニケーションをとることを放棄してしまうようなことが私には、これまで度々ありました。


分離オぺを受ける前は呼吸も安定しなかったので、娘の顔よりも酸素モニタの数値ばかりをみているときもあったし…

娘がもし健常児なら私はもっとたくさん話しかけてるはず…


そんな風に悩むことは今でもしょっちゅうありますし、普段私は自分の子にどうやって接しているだろうか……と、改めて色々と考えながら読んでしまいました。







この先生は、深い思索と様々な授業での取り組みを経て、最重度の子供たちとのコミュニケーションを探っていかれるのですが…




先程でてきた、「最重度の子は人気がなく、かかわってもらうチャンスに恵まれていない。」という洞察において、



「それでも最重度の子供を手放しで可愛がる職員がいる。」

「そういう人たちはその子が最重度だから可愛がるのではなく、それは、AさんはBちゃんを、CさんはDくんを…というように個別の関係になっている。」

「その理由をきくと、その子が大変だったときに必死に世話をして、それ以来他人のような気がしなかなったから…」



…と、反応の少ない子供達との愛情形成について、先生が答えを探される場面も印象的です。





世の中には、障害者を殺傷したり、様々な恐ろしい事件もあるという中、「一生懸命世話をしているうちに愛が湧く」と答えた職員の人たちのことを考えると、ひとの優しい部分、善人のの部分を強く感じて、勇気づけられるような思いにもなります。




この先生は、重い障害のある子への愛情への結びつきについて、つまるところ、「できないからこそ愛おしいと感じること」…それは「子供のためによいことがしたいけど、うまくいかずに悩む」自分たちの姿と共通するもので、「出来なさの中に願いを読みとる」ことが大事だと書かれていました。





ここまでくると、生きる思想、哲学のようなものを感じますが、常に生徒の心の動きを追い、目に見える結果だけにとらわれず、授業づくりを模索される先生の姿に、読んでいて、圧倒されるばかりでした。




***


そして…次には、いわゆる支援学校の肢体不自由部門の先生が、”2人目”の先生として、執筆を担当されています。


この先生のパートは、私自身が今後も娘との日々の生活の中で意識したいとも思うこともたくさん書かれていました。



●”肢体不自由児”は受身的な生活になりがちだけれど”主体不自由児”ではない

●普段の生活の中で喜びを感じる体験を増やしていくことが大事







この先生の生徒さんとして、呼吸器をつけられた重度の障害のお子さんが登場されるのですが、そのお母さんと先生との遣り取り、問答も読んでいて胸に迫ってくるものでした。


「全く身体を動かせない我が子が主体性を持って生きるということが理解できない。」

「結局すべて介助してもらわないと、何も出来ない。そこに主体性はあるのか。」




先生はお母さんの心の葛藤に寄り添いながら、それでもなお、「介助者を介してでも、なお目的を達成される力」を子供の中に見出そうとされます。




そして、気管切開をされているこのお子さんが、”カラオケにみんなで行く”という歌の授業をとおして、自分の意思で”アー”と発声するようになる過程が描かれていました。






また先生が授業の中で「空気」というまどみちおさんの詩を読んだとき…このお子さんが何度も涙を流したというエピソードがあるのですが、こちらもとても印象にのこりました。



本人にはきっと詩の意味は理解できていないはず……ではなぜ泣くのか??


それは、先生たち自身がこの詩を読んだとき、誰もが呼吸器をつけたこの男の子のことを思い浮かべ、その情動がお子さんに伝わっていったのでは…と分析されていました。






”障害が重い人は、なにも分かっていない、話しかけることにも意味がない”



障害のある子どもの家族は、そんな世間の意識に度々傷つくことがあるのはないかと思います。


でも重い障害のお子さんでも、私たちが認知できないようなルートで受け取り感じたり、なかなか私たちが気付きにくいけどどこかで思いを表出していたり……


なかなか障害と関わりのない人に語るとオカルトめいたも話だと思われるのかもしれませんが……私自身も個人的に、長い病院生活の中にて、娘だけでなく他のお子さんをみてきた中、感じてきたことです。




とにかくこの”2人目”のこの先生…「なんて子供の気持ちをキャッチするのが上手いんだろう」…と、夢中で読んでしまいました。








***

そして、なんといっても、最後に1番心に残ったのは、この先生の「学校と医療的ケア」に対する考えの部分。



「医療的ケアは、子供と信頼関係を築くチャンス。だからこそ教師がしなければならない。」…という言葉が強く印象にのこりました。



私にとって、”大きな負担””育児を限りなく不利にするもの”…という認識の医療ケア…。


けれども、この先生は発想の転換というか、例えば呼吸管理するために必要な吸引について、「(吸引をして)不快感を取り除けば、大人に対して信頼感がうまれる。」「他人に協力を得て実現していく力が育てられる」…というように仰っています。




この本が出版されたのは97年。


先程もでてきた呼吸器のお子さんのお母さんは、学校でただ1人、ずっと息子さんに全付き添いされている状態でした。




先生は、「お母さんの24時間介護の負担が大きすぎる。」「お母さんはずっと先生に気を遣っている。」と保護者にとっての医療ケアの問題点をあげつつ、「苦しいことから解放してくれるのはいつもお母さん。」「苦しいときにそばにいる教師から吸引してもらえないと、信頼関係を築けないどころか、(教師に)不信感をうむ。」とも述べられていました。





まだまだ情報を集められていない身の私なのですが、医療的ケア児の就学をめぐっては、今も厳しい現実があるように思います。




そしてこれは私個人が日頃感じていることですが…



●医療ケアは娘の成長とともに第三者に委託する機会を増やせると嬉しい。

●子供のケアが親しか知らないブラックボックスと化すのが怖い。
(もし親に何かあったらというのもあるし、あと親の都合すべてで子供の出席などが左右されてしまうのも悲しい。)

●そして、余りにもケアが持続的すぎるので心身ともに負担が大きい。どこかに親側にもケアから離れる時間があってほしい。そしてその休息を生かしてより豊かな気持ちで子育てや療育にのぞませてもらえると嬉しい。




そんなような思いがあります。





この本の先生の子供側の療育目線にたった、

●親から離れ、子供自身がのびのびとできる時間があること
●自立心を育むこと
●教師やまわりの人と信頼関係を築くこと


…という医療ケアについての視点には、どんな障害児も1人の個人としてとらえ尊重するという心根を感じ、今回読んでいて深く胸に刺さった部分です。





医療ケアをめぐる就学の事情も、少しずつ変わってきているとも伺っています。

(私の住んでる地域では、呼吸器のお子さんは今も親が全付き添いらしいという噂もきいていますが…)


でも、こういう先生や、たくさんのお母さんたちが声をあげてきてくれたおかげで状況が少しずつ改善されてきたんだろうな、と思い、感謝とその重みを感じる一冊でもありました。









いわゆる自分たちがしてきた”お勉強”をするわけではないだろうという我が子が、学校で一体何を学ぶのか…ということは、障害児の母となってからずっと疑問に(あるいは不安に)思ってきたことの1つです。


そして、なんとなく、今は、”娘が就学まで無事に成長すること””そこで学校側にバトンを渡せるようにすること”…が1番の目標みたいになってしまっている自分がいます…。


イメージのつかないことは本当にたくさん…。


でも、今回タイトルに興味をひかれて、たまたま図書館で借りてきたこの本ですが、重度の障害を持つ子の授業というテーマでも、障害の向き合い方というテーマでも色々と参考になるものがあったように思います。


きっとこれから先々には本からだけでなく、現場をみたりするチャンスもあるはず……母もゆっくり考えていけたら、と思いました。



にほんブログ村
↑ブログ村さんの障害児育児カテゴリに参加しています☆
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

コメント

こんにちは☆

こちらの本、初めて知りました。

反応の薄い重症児はかかわってもらう機会が少ない…そうですね、こうやって言葉にして表現されると、確かにつきささるものがあります。

けれど、そてはなぜかを分析し、どうやって授業作りをするか、という展開に、救われる思いになりました。

医療的ケアについても、信頼を築くチャンスだなんて、私は考えたこともなかったような気がします。

私もぜひこの本を読んでみたいと思います!
いつも素敵な本や講演の紹介など、詳しくありがとうございます☆

みっちさんへ☆

長々と感想を書いてしまったのですが、お読みくださった上コメントまでくださって嬉しいです☆ありがとうございます!

読んでいて胸が苦しくなるところもありましたが、障害のある子供たちへの先生の愛情と努力に、暖かい気持ちにもなった1冊でした。

就学については、今後ゆっくり情報を集めたいと思っていますが、昨年みっちさんのブログを読ませてもらっている中で、医療ケアのある子供達にも色んな選択肢が広がっていることを知れたのは、本当に嬉しい驚きです…!

本に出てこられた呼吸器のお子さんの付き添いは、他のお母さんたちが申し出て、ケアの講習を受けて交代で付き添いを代わるようになった…とあって胸がじーんとなりましたし、個人の力だけでなく、お母さんたち集まっての力って本当に強いんだな、と思いました。

横のつながりが希薄な私ですが、これからちょっとずつ世界広げていけないかなと思っています☆
プロフィール

マカロニ

Author:マカロニ
原因不明の脳性麻痺の娘・あおいについて綴るブログです。喉頭気管分離オペ・胃ろうオペを受けています。

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
愛読しているブログ
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR