2017-06-03(Sat)

私と、私の母の関係をみつめなおす(前編)

今回は、育児そのものと直接関係のない、母親の私のメンタルヘルスに関する記事です。


もしかすると人様を不快にもするかもしれないトピックですが、書こうと思ったのは、1つには、自分の気持ちをスッキリさせたいという思い。そして、もう1つには、私と同じようなこと(実の親との関係)で悩んでいる人は結構いるのではないか……と思ったからです。

ネット上でオープンに、私と似たような悩みを語られている方々に、私は昨年、たくさん助けられた気がしています。


まず自分の問題点に気付かせてくれた本について書いていこうと思っていたのですが、それはヤメにして、自分が悩んでいたことをそのまま書いてしまいました。

昨年、重度の障害をもった娘とのはじめての在宅生活がはじまってから……


私は、孫の世話を手伝いに来てくれていた実母と大ゲンカしてしまい、そのあと実家に帰ったその母から、10年以上お互いに一切会話をしていない実父が末期ガンだと報告を受け、落ち着きを失ってしまっていました。


障害のある我が子との触れ合いの中で悩むこと、毎日の医療ケアに心身どっぷり疲れてしまうこと……それ以上のストレスが、自分にかかっていたにも関わらず、私はそれすら認めようとせず逃げていました。


なぜ私は母と喧嘩してしまったのか。なぜ父とずっと話もできていなかったのか。

長文ダラダラですが、前編が主に私の悩みについて、後編がカウンセリングに通うなどして悩み解決に向かっていく話になっています。


**********


娘のあおいが、重い障害を持って生まれて暫くしたあと、私の実母が関西から上京し、1年ほど孫の世話を手伝いにきてくれました。

最初、母は東京にいる伯母(母の姉)の住まいに滞在させてもらい、その後、私達家族が、病院から比較的近い場所に転居することになったあとは、私と母との同居のような生活が暫く続きました。(夫は平日夫の実家の方に住み、土日は私たちと一緒にいるような感じになっていました。)



このあいだ、父は関西に1人残っていましたが、私が高校生のときに、両親は、半ば家庭内別居のようなかたちになっていたので、このときの私といえば、この生活形態をさほど気にしていなかったのです。


母はあおいをとても可愛がってくれました。
私は1人娘で、母にとっては初孫、唯一の孫です。


たくさんあおいと遊んでくれたり、病院の面会を代わってくれたり、リハビリを頑張るように叱咤激励してくれたり……また私が病院に行っている間の家事なども沢山手伝ってくれ、母には心身ともに大きく助けられていました。


それなのに、なぜ私はその母とケンカしてしまったのか?


それは母が、私の夫や義母の悪口をいいはじめたからでした。

最初は軽い愚痴のようなもの……母も遠くから来た上、慣れない孫の世話を手伝ってもらって、ストレスが溜まっているのだろう…と思い、軽くきいていました。それに私自身も、先の見えない長い病院生活の中で、夫をはじめとする人間関係に不満が出てくることもあったので、それに乗ったりしていました。



ただ段々と熾烈を極める母の悪口……それも、些細な相手の欠点をも貶めるような発言や、嫉妬心からくるような相手への批判などに、違和感を覚え始めました。


加えて、「(私の)夫や義母は、本当はあなたに強い不満を持っている。」「今にあなたも夫と仲が悪くなる。」というような母の言葉にも、疑問が湧いてきました。



そういえば、母は昔からこんなことばかり言っていなかっただろうか。


私は小さいときから、自分の父親や、父親の家族、ありとあらゆる人の悪口を、母から延々ときいていなかっただろうか。

ふと、私は自分と母の関係を見つめなおすことになりました。



母親が子供に、ついつい愚痴めいたものをこぼしてしまう場面は、よくあることのように思いますが、母が私に流してきたものは、その質も量も、振り返れば子供の私が平静に受け止められるものではなかったのです。



母からきく、父や祖母のエピソードひとつひとつは、幼い私にとっては衝撃で、ただただ恥ずかしく、物珍しく、“そんな人の子供で恥ずかしい”という気持ちでいっぱいになっていました。



加えて、「あなたのお父さんもおばあさんもあなたを可愛く思っていない。」という母の言葉をひたすら信じ、そのことを憎みながら、それでも、“我が子のために離婚しないというお母さん”だけを、長年心の拠り所にしていました。



けれど、今回娘のあおいのことがあり、私が、高校卒業後、実家を出て以来、母と久しぶりに寝食をともにすることになって、今更ながらに気付かされることが多々あったのです。


「母は相当ひねくれた目線で、私の夫家族を批判している。私の父や親戚たちも、本当にそんなに意地の悪い人たちだったのだろうか。」

「私はずっと父と自分の関係に問題があると思っていた。けれど、実は、母との関係に一番問題があったのではないか?」

そういった思いが湧き出てきました。


加えて、私自身が母となることではじめて、“子を持つ親”の視点となり、

「もし今まできいてきた悪口が全て真実だとしても、私であれば、娘のあおいにこんな風に話すだろうか?」

と、考えることにもなりました。



ずっと私の親友だった母……。
一緒に映画をみたり、同じ本を読んだり、テレビみて笑いあったり……。
昔から「友達みたいに仲良くていいね。」といわれ、病院でも「優しいおばあちゃん」と何度も声をかけられ……


私は、人生ではじめて、その母に強く抗議することとなりました。



そうすると母は私自身にも次第に強い批判を向けるようになり、挙句「期待とちがった馬鹿な子供」「会社をやめたアホな女」などと言われてしまいました。


(私も母に、「文句があるなら本人にいえばいいのにいえない、三流の八方美人」「就活もしたことがない主婦のあなたに会社勤めのなにがわかる」などと随分キツい言い方で、色々と返してしまいました。)


けれど、なんとなーく、実は私が小さいときから感じていたかもしれない、私たち母娘関係の違和感が徐々に明るみにでてきました。


「いつも母は、母自身が出来ないことを、娘の私に出来るようになることを求めていた。」

「ひょっとして母は、私をとおして自分の人生をやり直そうとしていなかったか。」


そんな思いも湧き上がってきたのです。


ここで私は母と対立してしまい、「あおいのことはもういいから、もう帰ってほしい。その方がきっとお互い楽。」と願い出るに至りました。


このとき、私の方は、「暫く疎遠にしたい。」という一心でしたが、母の方は、「いい歳した娘がちょっとグレている。」というような心情だったようで、私たち母娘の間に、大きな感情の隔たりができてしまいました。



そしてそのわずか1ヶ月後……実家に帰った母から、“父が突然、末期の食道ガンだと判明した”という衝撃の連絡があったのです。

私と父との関係にも、いくつか問題があったのではないかと思っています。

小さいときから私は、父に苦手意識を持ってしまっていたのですが、その原因は、主に、父の酒癖の悪さでした。


こちらに全く非がないと思われる状況で、叩かれたり、怒鳴られたりしたこと……本人にとっては全く覚えがないのかもしれませんが、私はそういったことを根深く恨みに思っていたのです。


加えて母からの愚痴が、父に対して穿った見方をしてしまうようになり、意識的に父を遠ざけてしまっていました。


そんな私たち父子が、お互いにまったく口をきかなくなったのは、私が高校3年のとき。

ある日から突然、父が、一日中、酒浸りで家にこもる様になったときからでした。

異様に思って、母にきくと、会社をいきなり辞めた、とのことでした。

母は、父への怒りをあらわにし、父を侮蔑的な呼称で呼んで、私もそれに乗じました。



このころ…

父は、会社をやめた辛さから逃げて、ひたすらお酒を飲む
母は世間体から、父が退職したことをひた隠しにする
私はひたすら自分の大学進学の心配をする



…と、それぞれが自分のことしか考えていない、最悪の状態でした。


今にしてみれば、父は父で、会社から依願退職を通知され、思いつめて辞めてしまったこと……私自身が社会に出たあとには何となくは分かるその辛さも、当時は全く理解できず、私は、母と一緒に父を非難するばかりでした。



父はそのあと暫くして再就職することになったのですが、この頃から、私は父と口をきかなくなり、そして、なぜか向こうも、私が帰省したときにも、また不思議にも私の結婚式のときですら一言も私に声をかけず、父子ともに目も合わせない……という状況になってしまっていました。


(母は不思議と、必要なことだけ父と会話したり、冠婚葬祭の場では問題のない夫婦を演じたり…と、上手にこなすことが出来ていました。)




そして去年……母から、突然、父が末期ガンだときかされたとき……
情けないことに、私は父に何をいえばいいのか、自分が何をすればいいのか、全くわからなかったのです。


「私が孫の世話を母に手伝ってもらったせいで、こんなことになったのか。」と自分を責める気持ちも出てきました。


そして、今の今まで、親子関係という名の人間関係を築くことを、一切放棄してきたツケが全てまわってきたように思われました。


母に、父の病状(ステージ4で間違いないか、余命宣告はあったか等)や治療方法についてなど再三訊いたにもかかわらず、母はそれについては、「本人からは、病気のことを誰にも、娘のあなたにもいうなといわれてるから、それについては、いえない。」と、何故か一切黙秘されてしまいました。



「病気のことを自分の夫にも伝えていいのか」「今すぐ私は実家に帰った方がいいのか」「もし余命数ヶ月ならあおいも連れて一度実家に帰ろうと思うがどうか」「あおいよりも父の方が(医療ケアが少ないし)移動できるなら、こちらにきてもらってもいいと思うが、どうか」……


などときいても、具体的にこうしてほしいなどの要望も母からは一切出てこず、結局自分の娘の世話にいっぱいだった私は、ガン治療に効果のある食事の料理本や、その調理器具などを、実家に送るにとどまりました。




迷った挙句、私は、結局、夫や在宅の先生に、父の病気のことを話し、“私はもしかしたら娘を置いて、急に実家に帰らなくてはならなくなるかもしれない”……と、帰省方法などについて相談しはじめたのですが、母からは、次第に連絡が途切れていき(私が母の対応に苛立って怒ってしまったからだとは思うのですが)、私からも連絡をすることを辞めてしまいました。



私が、自分のこれまでの家族の状況を、夫や友人に打ち明けた上で、今回の困難をどう乗り越えればいいのか、人に相談できればよかったのですが、私にはそれができませんでした。



「家族のことは誰にも話すな。」が小さいときからの母の教えで、たった一度、8歳のときに、親友に、母からきいた愚痴のいくつかを私が漏らし、それがあとにあって明らかになったときには、激昂されてしまいました。


以来、私はひとに自分の家族のこと、悩みに思うことに関して、一切口をつぐんでしまい、夫と付き合って、結婚することになったときですら、ごく僅かな情報しか伝えられませんでした。


「私の母はなにか間違っている気がする。」
「こんな歳にもなって、なぜ私は両親と人間関係が構築できていないのだろう。」



先の見えない、障害のある子供の子育てに迷いを感じる中、私の中で憂鬱さが日に日に増して行きました。

そして、私自身が、娘のあおいの育児をする中でふと感じること……

「娘にリハビリをたくさんさせなければならない」
「障害がもっとよくならなくてはならない」

そういった自分の思いに、“娘をまるで自分の所有物としてみていないか?”“私は私の批判する母とソックリではないのか?”と不安を憶えることもでてきました。




どこかに逃げ場を探した私が、親子関係の本を読み、ネットで似た境遇の人を探す中、思い付いたことは、誰かに助けを求めたい、(心療内科で一度失敗しているにもかかわらず)カウンセリングというものに行きたい、ということでした。


たった1回でいいから、誰かに思いっきり、自分の家族のことを話したい。

夫や友人に話すと、母に咎められるかもしれないけれど、相手がカウンセラーという名前の赤の他人なら、許してほしい。



このときの私は、母が憎らしく思えたかと思えば、ひょっとしてそんなことを思う私のほうが冷たい人間なのではないか……と気持ちが行ったり来たりを繰り返していました。



母と私はどちらがおかしいのか。
母がおかしいと思う私は誤りなのか。


誰か審判を下してほしい。


そして今後、私が父とどう接していけばいいか考える前に、まず自分のこれまでの家族関係について整理したい。


こうして、私は、昨年11月、家族関係の相談を主とした、カウンセラーに初めて会うことになったのです。


(後編に続きます。)
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原因不明の脳性麻痺の娘・あおいについて綴るブログです。喉頭気管分離オペ・胃ろうオペを受けています。

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