2017-07-21(Fri)

地域とともに生きる障害者の姿~映画「マイ・レフトフット」~

家族全員、夏バテ気味な日々が続いていますが、気分転換に?以前みた映画の感想文を、勝手気ままに書き綴りたいと思います。


私の中で、「脳性麻痺の人が出てくる映画といればコレ」と、娘が生まれる前からその存在を知っていた作品なのですが、「ムリヤリ感動ものにしたような障害者の人の映画って苦手なのよね・・・」と偏見だらけの価値観もあって、観るのを長らく遠ざけておりました。


ただ娘が生まれてからは、「なにか少しでも参考になることがあるかもしれない。」・・・と鑑賞への意欲が湧き始め、今年になって、ようやくみることができた「マイ・レフトフット」という映画・・・・・・私が想像していたよりも、ずっと静かで、素朴な良作でした。


(以下、内容に関してはネタバレ全開なダラダラした感想文になっています。)


マイレフトフットフォックス映画0718

↑「マイ・レフトフット」1989年の作品。103分。
販売元: 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン




映画「マイ・レフトフット」は、その題が表すとおり、”左足先しか動かすことができない”重度の脳性麻痺の男性が主人公の作品です。


1932年にアイルランドのダブリンで生まれた、クリスティ・ブラウンという実在の人物が書かれた回想録を原作になっています。

映画は、回想録を出版したクリスティが、付き添いの看護師さんとともに、過去を振り返るかたちでスタートしていました。


クリスティは何が原因で脳性麻痺になったのか……ですが、映画にはそのあたりの描写は一切なく、「生まれてきた子供に異常があった」という演出があるものの、お産の様子はもちろん、ひいては赤ちゃん時代の姿は一切でてこないまま、7歳くらいになったと思われるクリスティ少年の姿から描かれていました。


My_left_foot海外版DVD0718

↑海外版のDVDの表紙。
ヒゲの青年が大人になったクリスティで、後ろにいるのがお母さん。クリスティの家族は、22人兄弟で、そのうちの半数の方が亡くなられている・・・と、時代なのか、地域の特色なのか…なかなか今では考えられない、特異な環境のように思いました。




クリスティ少年は重度の肢体不自由。


兄弟たちが椅子に座って食事や勉強をする中、ひとり、部屋の片隅、床の上に横たわっている姿が印象的です。


どうやら、「本来なら施設に預けられるほどの重度の障害者」であったにもかかわらず、彼の家族・・・主に母親が、「普通に家での暮らし送らせたい」と願ったことにより、自宅で兄弟たちとともに暮らしている・・・ということが分かります。


どうしても私は、最初、自分の娘と比べながらクリスティ少年の障害をまじまじと見てしまいましたが、全身拘縮しているものの、”医療ケア”がいるわけではないクリスティ少年・・・・・・しかも、左足を軸足にしつつ、床を背這いで移動したり、身体を自分で起こしたり・・・・・・不自由を抱えつつも、力強く動く姿に、「すごい、すごい」と思うばかりでした。


発語がなく、いつも悲しそうな表情を浮かべ、意思の疎通が困難だったと思われるクリスティ少年ですが、特に、実の父親からは、「何も分かっていない奴」と、家庭内で”差別”をされていました。


ところが、ある日、そんな父親の目の前で、チョークを1本、左足にはさむと、床の上に”MOTHER"と見事に字をかいてみせます。


それをみた、お父さんが、「天才だ。」と息子を担ぎ上げて嬉しそうに外に連れて行く姿が印象的でした。

なんともゲンキンなお父さんとも思ってしまいますが、このお父さんの気持ちも分かります。

私自身、娘と接する中で、これまでも、今現在も、「どんなかたちででもコミュニケーションをとれないか」ということは最大の関心事ですし、日々厳しさと焦りを感じる部分でもあります。


実の息子とはいえ、意思疎通などできやしないのだからと、子供と関わることから逃げてしまったこのお父さんの姿も、リアルな親の姿のように感じました。



マイレフトフット原作クリスティブラウン実物0718

↑「The Life That Inspired My Left Foot」海外の原作本の表紙。Mainstream Publishing; Reprint出版
クリスティ・ブラウン本人の子供時代の写真が、表紙に使われています。足先で絵を描く、足でタイプライターを打つ・・・と、唯一身体で使える部分を使ってたくさんの表現をされていたようです。



そして作品を通して一番心にのこるのは、クリスティと、兄弟や近所の子供たちとのかかわりです。

みんな、クリスティを”普通の子供”ではなく、明らかに自分たちと異なる”異質な存在”として受け止めているように思いました。

車椅子すらなく、野菜などを入れるような大きな木箱の荷車を、バギーの代わりにあてがわれ、その中にいつも横たわっているクリスティ。


子供たちが、みんなでその荷車を押して、遊んだりしている姿には、助け合いとか、弱者への慈しみとか、そういうものではなく、”そういう子が自分たちの近くにいるから一緒に過ごしている”という、なんの理論もない、シンプルな行動のようにみえました。


ときに遠慮なく、”普通でないこと”をからかわれたり、区別されたり・・・
密かに好意を寄せた女の子からは、一切の遠慮もなく、キッパリとフラれてしまったり・・・


それでもみんなの中に混じって、遊んでいるクリスティと子供たちの姿に、力強いものを感じました。



**********


クリスティが学校に行っている描写や教育を受けているようなシーンがなかったので、勉強はどうしていたのだろう・・・と疑問に思いつつも、17歳を過ぎると、専門の治療施設のような場所に通う場面がでてきました。


元々絵の才能があり、高い知能を持っていたと思われるクリスティですが、施設の先生との出会いにより、どんどんその才能を開花させていき、不明瞭だった発語も訓練により改善され、言葉のコミュニケーション能力も飛躍的にあがっていきます。


そして、指導を受けていた女性の先生に、クリスティは恋心を抱くのですが、先生は別の男性と結婚することになり、大失恋。自らの命を絶つことまで考えてしまいます。

思春期のよくある失恋も、大きなハンデを持っているクリスティにはより重くのしかかり、「僕は心でしか愛されない。身体まで愛してくれる人がいない。」という台詞が切実です。



*********


この映画を観る前に私が抱いていた偏見のひとつ・・・・・・

「障害者の中で、絵を描いたり、本を書いたり、なにか才能を発揮する人なんて、ほんの一部だけで、特異な存在なのだ。そんなスゴい人を、障害者を代表する存在のようにクローズアップするのは、よくない。」


というような考え……

正直なところ、障害児の母となっては一層、完全に捨てにくい部分もあります…。



けれど、この作品をみたことも一つのきっかけですが、何かを表現されたり、成し遂げたりされている障害のある方々の努力は、壮絶で、単に元々才能があったとか、恵まれていたとか、そんな言葉で簡単に片づけられるものではないのだと、最近になって感じることが増えてきました。



また、本作のクリスティにとっては、絵を描くなどの自己表現は、ある種“孤独の代償”だったのかもしれない、とも思いました。


クリスティにとって、生まれた街でただ一人、身体を動かせないこと、まわりの人と異なることは、とても辛くて孤独だった。


人生で誰しもが味わう孤独感・・・・・・健常者であれば、スポーツをしたり、あちこち出かけたり、異性と交際をすることだったり・・・そういったことで紛れさせることができるエネルギーも、彼にとっては出口がなく、その思いが、絵を描くことや回想録を書くことで発散されていったのかもしれない・・・とも個人的には感じてしまいました。




***********


映画は終盤を迎えると、ふたたび、回想録を出版し終えた現在のクリスティに戻り、ラストには、付き添いをしていた看護師さんと、クリスティが、なんと交際をはじめることになります。
(そして映画の終わりにテロップが出て、そのあとにご結婚された、ということが分かります。)


このくだり、ちょっと唐突な感じもして、上映時間がもう少し長くてもいいからもっと丁寧に描けなかったのかしら・・・などと思ってしまいましたが、2人がクリスティの生まれ育った街を見下ろしている場面は、不思議と爽やかです。


(ただ49歳で亡くなったというクリスティ・ブラウン本人の史実をみると、この結婚、幸せではなかったのかもしれません。そこは、人生の一部分だけを切り取った映画ならではの“ストーリー”になっているようにも感じました。)



父の祈りをDVD0718

↑クリスティの17歳以降を演じた、主演のダニエル・デイ・ルイスさんは有名なイギリス人の俳優さんで、この作品でアカデミー賞主演男優賞を受賞。(そのあとさらに2回も受賞しているとのこと、スゴすぎる…)
イケメンを売りにしてない俳優さんなんでしょうけど、普段のお顔はなかなかのハンサムさんではないでしょうか。(写真は別の出演作品:「父の祈りを」 販売元: ジェネオン・ユニバーサル)






映画「マイレフトフット」・・・。正直、娘の訓練とか、学校のこととか・・・そういうことで参考になるものは全くありませんでした(笑)

けれど、クリスティ少年と家族、そして地域の人たちのリアルな生活の姿に、不思議な元気をもらえる作品でした。




私が娘を連れ歩くとき・・・・・・いつもどこかで、「少しでも普通の子供にみられてほしい。」という思いが、いまだにくすぶっています。

けれど、まわりの人たちからみれば、やはり娘は、見慣れない、普通の子供とは異なっている・・・・・・特異で異質で、一見では到底、理解しにくい存在なのだと思います。


それを受け止めた上で、まわりの人と、かかわりを持って行くにはどうすればいいのか・・・。


そこには、親が介入できる部分を遙かに超えた領域もあるのかもしれません。

「娘を普通の子のように育てたい。」という自分の気持ちが誤りでないことを願いつつ、できるだけ、外とかかわる機会をつくり、娘の世界に広がりをもたせることは出来ないのだろうか・・・・・・


日々悩みはつきませんが、少しずつできることにトライしていきたいと思う今日この頃です。



にほんブログ村
↑記事を読んでくださってありがとうございます☆にほんブログ村の障害児育児ランキングに参加しています。

私が長く続けてきた唯一の趣味が映画鑑賞だったのですが、出産後は、映画を観る時間は皆無に近い状態に……。それでも、昨年は夫と交代で「シンゴジラ」と「君の名は。」を観に行ってしまいました(笑)
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

コメント

プロフィール

マカロニ

Author:マカロニ
原因不明の脳性麻痺の娘・あおいについて綴るブログです。喉頭気管分離オペ・胃ろうオペを受けています。

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
愛読しているブログ
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR